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(回答先: 男性である事の危険性 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2004 年 11 月 07 日 23:33:56)
スパルタカスポノさんこんにちは。フニャコと申します。
「昼休み板のみ限定で投稿」と自分に言い聞かせておりましたが、痴漢冤罪に関しては他人事ではないので飛び出してきてしまいました。
議論板にまでアホさ加減を振りまく結果になってしまうかもしれません。申し訳ありません。
痴漢冤罪に関しては時々考えますが、目下「本を読んで両手をふさぐ」という予防法くらいしか思いついておりません。
スパルタカスポノさんの問題提起では“民主主義下での警察のありかた”に力点が置かれているような気がいたします。
「痴漢事件(冤罪も含む)とその捜査がどうあるべきか」に関してお考えを伺いたいという衝動に駆られています。
よろしければお聞かせ願えればと思います。
ちなみに私自身、思うところでは「我が国は民主主義であります」という言葉と「バファリンの半分は優しさで出来ています」というキャッチフレーズ
とは、同じような次元のものであろうと思っております。
何と申しますか「当たらずとも遠からず」ではあるけれども「当たってはないよな」と言った按配であって、確かにバファリンを飲んだ途端に胃が痛く
なったならば「ウソ」でありますけれど、そうではないので「ウソではない」。
しかし「半分は優しさ」って「化学的になんなのよ」といった感じでありまして、ぶっちゃけ「方便」でありましょう。
同様に「我が国は民主主義であります」も、確かに「モノも言えず密告が蔓延り、権力者の眷属が私見で人間を裁いて私刑にするのが当たり前」という
状態に我が国はなく「恐怖政治でも独裁政治でも封建主義でもない」から「『民主主義』と呼んでも当たらずとも遠からずだよな」といった按配で
完成には程遠く、やはり「方便みたいなもの」だと思っていいと思います。
「バファリンの半分は優しさで出来ています」と言い出す前のバファリンを飲んでも胃が痛くなった経験はございません。
同様に「我が国は民主主義であります」と言い出す前の我が国と、現在の我が国とそう大して違わないのではないかと思っております。
「言ったもの勝ち」なのでしょう。
民主警察といえども内向きの暴力機構であるわけで、市民による監視と冤罪に対する理解を促す以外、構造的にいかんともしがたいのかもしれませんね。
やはりアホさ加減を振りまく結果になってしまいました。重ね重ね申し訳ございませんでした。