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(回答先: 結論よりも現実認識のほうが重要:論理が見えていればいつでも結論を導き出せますから覚えておく必要さえありません。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 8 月 08 日 02:45:28)
あっしらさんこんにわ。直接上の板ではないんですが、
「どのように受けとめられているのか、どこがわかりにくいところなのかがほとんど見えないので苦慮しています(笑)。」
ともありましたし、暑い中申し訳ないのですが遠慮なく質問させていただきます(笑)。
(十数年前は温暖化といっても遠い未来の話し程度にしか感じてなかったのですが、ここ七、八年で一気に酷くなった気がします。これが江戸時代や欧州の一部の国なら「クソ暑いから夏は休みー」で済むのかなと思うと、、素直に羨ましいです。まあまだ学生なので休みっちゃあ休みなのですが。)
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あっしらさん「今回のシリーズの要点は、生産手段の高度化(固定資本の質量的増大)が生産性の上昇の源泉であり、生産性上昇が輸出増加・インフレ・給与引き上げなどによって滑らかに利益の増加につながることで産業資本は増殖を続け、勤労者の生活も向上してきたというものです。
ですから、「産業資本主義」の終焉は、固定資本の質量的増大が産業資本の増殖に結びつかない経済状況に立ち至ることを意味します。(個々の企業という視点ではなく、産業全体の資本増殖が問題です)」
ここで言う「固定資本の質量的増大が産業資本の増殖に結びつかない経済状況」とは、産業資本に置いて資本主義的活動(利潤獲得活動)が不能になる状態、つまり「利潤無き経済社会」ということですよね(間違ってたらすみません)。
そしてなぜ利潤の獲得が不可能となるかと言えば、利潤の源泉が貿易黒字にあるとすると、今後貿易(経常)収支が世界各国で均衡していくからだということですよね。
ここで質問です。まず、利潤の源泉について。通貨発行や信用創造では利潤の源泉にはなり得ないのでしょうか。またなり得ないとすれば、それはなぜでしょうか。
(ところで、資本主義(キャピタリズム)というものを生産者としての人々の活動動機が利潤獲得にあるものと考える(様に最近なった)のですが、これで正しいのでしょうか。)
暑い中申し訳ありませんが、宜しくお願いします。