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「今日のパスタは実にうまかった。本当にありがとう」。自死を目前にして、最後の食事を秘書や料理人と同じテーブルでとり、感謝の言葉を口にするヒトラー。隣室では、自らも死を決意したゲッベルス夫人が幼い我が子6人に次々と毒を盛る――。
ヒトラーの最後の12日間を描いたドイツ映画「ウンターガング(没落)」(主演ブルーノ・ガンツ)が大きな反響を呼んでいる。「20世紀の悪の権化」とされてきた人物を初めて、血の通った人間としてスクリーンに登場させたからだ。独国内では、9月に封切られてから1週間で75万人が劇場に足を運ぶ一方、英、仏、米などのメディアは「度を超した熱狂」「ヒトラー像の修正につながる」と、警鐘を鳴らした。
たかが一映画の盛況に、ヒステリックなまでの反応が示されるのには、それなりの訳がある。
ナチスの蛮行という暗い過去を背負うドイツでは、戦後ずっと、ヒトラーを悪魔的人物と見なし、その著作『わが闘争』を禁書とするだけでなく、公衆の面前でナチス式敬礼やカギ十字を掲げることも禁じてきた。ヒトラーがドキュメンタリーや映画で扱われても、負の側面にのみ焦点を当てるのが通例だった。
それが今回、悩み、怒り、優しい心遣いまで見せる「普通の人間」として国民の前に登場したのだ。米ニューヨーク・タイムズ紙は「独国民がついに、ヒトラーの亡霊を寝かしつけるまでになった」と評した。
この変化に最も冷たい視線を送るのは、ドイツが戦後の民族和解に最も成功したはずのフランスである。リベラシオン紙は、ヒトラーを人間として描くほどドイツ人は精神的に成熟していないと一蹴(いっしゅう)した。
「ウンターガング」批判は、独国内にもないわけではない。だが、それは少数派で、国民の69%が「ヒトラーの人間的側面を示すのは正しい」と答えている。高級紙ツァイトも、ヒトラーを娯楽映画の主人公にする危険性を指摘しながら、そう仕向けた責任の一端は、資本主義の問題点を指摘しただけで反ユダヤ主義のレッテルをはるような外国メディアの対独反応にもあると切り返した。
ベルリンでは今、現代美術の宝庫「フリック・コレクション」の大型展覧会が開かれている。作品所有者の祖父は、ナチス支配下で、ユダヤ人らの強制労働を利用して軍需企業を拡大し、ニュルンベルク裁判で有罪判決を受けた。「不浄な資産で集めた作品」との批判から、チューリヒでもミュンヘンでも開催が見送られたが、ベルリン市は喜んで迎え、シュレーダー首相自らが開幕演説に立った。
英米系音楽の電波寡占状態を打破するため、ドイツ語歌謡やドイツで作られた音楽の放送枠を設ける案も、真剣に検討されている。緑の党、社会民主党(SPD)議員の発案で、音楽放送に国家統制をかけようというのだ。
ヒトラーが死後60年近くを経て、ドイツで人間の顔を取り戻したのは偶然ではない。
戦後のドイツはブラント首相らの社民党政権下(1969―82年)で、ナチスの過去を直視し、歴史認識を改めたと言われる。「ブラントの孫」世代のシュレーダー首相は、国民と共に、“祖父”に反論し始めたように見える。
「我々はもう、ドイツ人としての誇りを持ってもいいでしょう?」
(2004/10/4/23:48 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041004id27.htm