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55キロ級の世界王者、吉田沙保里は胸に、宮沢賢治の詩が印刷されたハンカチをしまい、マットに上がった。日本女子レスリングの歴史は「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」と詠んだ賢治の心象風景にも重なる。
伊調姉妹の姉・千春、妹・馨、吉田、浜口京子。アテネ五輪代表の4人は、いずれも格闘技経験を持つ父や兄弟がいる。レスリングの世界に飛び込むことは自然の成り行きでもあった。
男子の種目数削減を恐れる国際レスリング連盟の反対もあり、女子の五輪種目への採用は遅れた。国内では強化費が支給されず、基本的には遠征も合宿も自費参加。親に反対されて、コインランドリーでこっそり練習着を洗う選手がいた。「普通の女の子」の生活に戻ることを勧められ、五輪への道が険しいことにいら立ち、一度は就職をした選手もいた。
それでも、彼女たちは逃げなかった。廃校を利用した新潟県十日町市にあるレスリング道場に集まり、自分を支えてくれる人たちと、自分自身のために、レスリングを続けてきた。「私たちには、ずっとレスリングをしてきた誇りがある。五輪が夢に終わった先輩たちの気持ちを、アテネにつなげたい」と言ったのは浜口だった。
そんな彼女たちに、スポットライトが当たっている。日本選手団の旗手を務めた浜口は準決勝で敗れたが、あとの3人は決勝に進み、千春が銀、吉田が金、馨が金メダルを獲得した。3位決定戦に回った浜口も銅メダルを手にした。
メダルの色は分かれた。だが、04年8月23日は、躍進の原動力になっている女子の奮闘を象徴する日として、記憶されるだろう。【高橋秀明】
[ 8月24日 2時25分 更新 ]
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20040824&a=20040824-00000011-mai-spo