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(回答先: 「負けてないぞ」と父は絶叫(asahi.com) 投稿者 愚民党 日時 2004 年 8 月 24 日 03:49:35)
流れ落ちる滝に潔く身をさらした。白装束の浜口、伊調姉妹、吉田の4人は「ウォー!」と絶叫しながらずぶ濡れになった。居合わせた観客に見守られ、両手を胸の前で合わせてアテネでの金メダルを願った。修行は1度では終わらない。「第2ラウンドだ」というコーチの声で再び滝つぼへ。今度はあぐらをかいて頭から滝に打たれた。「すべての悪いものが全部なくなった。すっきりとした感じ。アテネで金メダルだけだと思うことができた」。浜口はさわやかな笑顔を浮かべた。
午前中は陶芸を習った。浜口は焼き物に「8・23美酒」と記した。8月23日は五輪の決勝が行われる日だ。午後から訪れた大岩山日石寺は真言密教の大本山。護摩をたいた。浜口は「ここまできたら気持ちが大事」と成果を強調した。
富山修行の発案者は福田富昭・日本レスリング協会会長。同氏が女子の強化に着手したのが84年のことだ。20年越しの悲願がかなってアテネ五輪で女子の採用が決まり「金メダルという目標に向かって、全員頑張ってほしい」という一念から。そのために何をすべきか。それがユニークで厳しい練習法の導入だ。
まず、代表合宿の拠点を新潟・十日町の桜花レスリング道場に置いた。十日町市の中心部から車で30分ほどの山中にある「虎の穴」。福田会長が90年に廃校を買い取って改修したものだ。道場では携帯電話は通じず、新聞も届かない。選手は早朝から山道を駆け上がり、徹底してスパーリングに汗を流す。4月の合宿中には、新潟・柏崎にあるトルコ文化村に出向いてトルコの国技「オイルレスリング」を観戦。汗まみれになった時の戦い方を研究した。
精神面の強化も怠らない。茨城・大洗での年越し合宿では、寒中水泳を敢行した。水温5度の真冬の海へダイブ。温泉テーマパーク「大江戸温泉物語」(東京・青海)では浴衣姿になって足湯につかり、一般客の前ではもちつきを行った。仕上げが今回の陶芸&滝修行。鈴木光監督が「われわれは(この指導法を)福田イズムと呼んでいる。いろいろと考えていただいた」と心技体の充実こそメダルへの道と鍛え抜いた。
“レスリングの父”の精神を継承
ユニークなトレーニングの根底あるのは八田イズム
なぜここまで…この根底にあるのが伝統の八田イズムだ。日本レスリングの父といわれる故八田一朗氏が考案し、五輪で金20個獲得の原動力となった奇抜で合理的な指導法だ。
常に臨戦態勢を意識させるため、夜中に突然起こす。慣れない海外でも熟睡できるように照明やラジオをつけたまま寝る。沖縄でヘビとマングースの戦いを観戦し、マングースの素早い動きを学び、闘争心を燃やす。動物園でライオンとにらめっこ、なんてのもあった。利き手と逆の手で歯磨きをし、はしを持ち、トイレでお尻をふいて左右のバランスを整えるなど、数知れないトレーニングが課せられた。
福田会長もこの八田イズムで鍛えられた。65年の世界選手権フリー・バンタム級王者となったが、直後のソ連遠征で相手の学生選手に敗れてしまった。この時、団長だった八田氏に「毛をそれ」と一喝された。頭だけではなく、アンダーヘアまでもそった福田会長は悔しさをエネルギーに変えたという。
こんな“八田イズム”を継承しての金メダルへの究極作戦。女子代表で最年長の浜口は26歳、伊調姉妹は22歳と20歳で、吉田は21歳。彼女たちはピアスや茶髪や化粧とは無縁だ。時代遅れとも受け取れる精神修行にも耐える。抵抗はないのか。だが「すべてが力になると信じているし、やれるぞの気持ちになってきます」と口をそろえる。夢を追い鍛えぬく最強の女子レスリング軍団。期待がさらに膨らんでくる。
【福田 富昭(ふくだ・とみあき)】
1941年(昭16)12月19日、東京都生まれの62歳。富山・滑川高―日大。65年世界選手権フリー・バンタム級金メダル。同年の日本選手権でも優勝。アテネ五輪選手団総監督、日本レスリング協会会長、JOC選手強化本部長を兼任。
【浜口 平吾(はまぐち・へいご)】
1947年(昭22)8月31日、島根県生まれの56歳。69年国際プロレス入門。72年米国に遠征し、ラフファイトに磨きをかけて73年帰国。国際プロレス消滅後ははぐれ国際軍団として新日本に登場。ジャパンプロレス、全日本プロレスを経て87年に新日本プロレスで引退。91年現役復帰し、WARなどを経て再引退。浅草でジムを開設し、若手を育成。得意技はダイビングエルボードロップ。
【八田 一朗(はった・いちろう)】
1906年(明39)6月3日、広島県生まれ。29年、早大柔道部の一員として参加した米国遠征でレスリングと出合う。帰国後、レスリング部を創設し、大日本アマチュアレスリング協会設立に尽力。32年ロサンゼルス五輪代表。51年から33年間、日本アマチュアレスリング協会会長。65年に参議院議員当選。83年肝硬変のため死去。
http://www.sponichi.co.jp/olympic/athens/kokishin/24.html