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(回答先: Re: 江戸時代の民間の鉄砲のほとんどは猟銃としての火縄銃でしょうね 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 31 日 07:13:27)
イノシシ狩り(退治)の時には、今でもそうなのですが猟師さんが単独ではなく最低10人くらいで猟犬使ってを山狩りを行い、イノシシを追い込みます。木製の檻に追い込んだりもします。
イノシシを撃ち損じて「手負い」になると人間を襲うクセがついて人的被害が出るため、ちょっとイノシシにはかわいそうなのですが、確実に倒すように集団で攻撃すると言うわけです。考えてみれば火縄銃とは銃弾の装填が面倒で一発撃つのに手間がかかる単発銃ですからね。連続射撃するには集団でないと無理ですからね。こういう猛獣の山狩りを行う猟師の集団を鉄砲組と言ったそうです。
でも鉄砲組は考えてみれば武装集団になるわけですし、狩猟に名を借りた自警団でもあったとも感じます。例えば東京の新宿百人町にも鉄砲組があったそうで、(記憶は定かではないですが100人編成の鉄砲組だったので百人町と名づけられたと思いましたが)江戸近郊の民兵組織の側面もあったそうです。確か毎年鉄砲を撃つお祭りがありましたね。
大筒ですが、結構豪農のような農家では一揆や打ちこわし対策に大筒を持っていたのかも知れません。というのも今から30年ほど前の小学生の頃に(年齢がバレる!?)読んだ子供の科学と言う本に、関東のどこか忘れたけれども農家の倉から木製の大砲と石で作った砲弾が出てきた、という記事とイラストがありました。私の実家がある中国山地は山が多くて田んぼの面積が少ない。ですから豪農といってもたかが知れています。けれども関東は平地が多いので関東の普通の自作農が中国山地の豪農くらいの規模ではないかと思います。だから関東の豪農というのであればとんでもなく豊かでしょうね。そうなれば一揆や打ちこわし対策のために武装もするであろうし、体制側も非常時には反乱鎮圧に利用できるように火器武装もさせたと想像します。
ついでに想像するに、武士と言うものは「刀」に対して「鉄砲」という武器を低くみていたのではないでしょうか?火縄銃を見るに、一発撃つのに本当に面倒な作業が必要ですからね。一発撃って次の一発の準備をしているうちに斬り付けられてしまいます。また鉄砲は面対面で戦わないという戦闘ですから勇ましくないというイメージもあったとも思われます。
さて火縄銃の弾丸と火薬について。弾丸はいろりの火であぶって鉛を溶かして型に入れて弾を作るのをテレビ等で見たことないですか?火薬は主成分が木炭の粉末、硝石の粉末だったと思いました。木炭はどこの家にもあります。硝石は肥溜めの近くの土をなんとかして加工するというのを読んだことが有る。ですから結構自家製造が可能であったと思うのです。
江戸幕府は鉄砲の規制を行ってはいたのでしょうが、鉄砲製造技術を維持するために国友村(今はどこの県でしょうか?)に職人を集めて鉄砲を製造していた。けれども器用な日本人にしては不思議なくらい火縄銃が発展していませんね。これは思うに鉄砲本体よりも弾丸を薬莢式にすることが出来なかったからですかね。
いずれにせよ、幕末の開国後に大量に西洋式の銃が出てくるまで、日本の火器の進歩はほとんど(というか全然)なかった。合戦といっても関が原以後は無いも同然。あとは島原の乱のような一揆の鎮圧ぐらいしか軍事出動は無い。良いか悪いかは別にして、幕藩体制の下では不思議なくらい「戦争」というものを考えなくなったとも言えますね。