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(回答先: 鉄砲組 投稿者 ponpon 日時 2004 年 7 月 31 日 09:39:02)
私の実家は中国山地と書きましたが、近代式製鉄所が出来るまでは中国山地は日本最大の製鉄地帯でした。
砂鉄を溶かして餅のような形の鉄をつくるたたら製鉄です。燃料は木炭ですから、ブナなどの木を切って使った。使う木がなくなったら苗を植えて禿山にならないようにして、別の場所に集団で移動してまた製鉄を行った。
けれども江戸時代には結構定住していたようにも聞いています。というのも体制側も鉄=武器という意識があるから、鉄の製造は結構管理されていたように見受けられる。何故それがわかるかというと、中国山地でもタタラが多い地域は江戸幕府の「天領」になっているところが多いのです。ぽつんと集落ひとつが飛び地みたいに天領なんです。
もっとも、天領と言うのはコロコロと変わっていたようでもありますが。天領になった場合、年貢が安くなるので(普通の藩の半分以下)その分農民が蓄財できる。それで機織や染物を行って事業家となって結構お金持ちが生まれたみたいですね。天領の年貢が安いのは、徳川幕府そのものが700万石くらいの最大の「藩」というのも同然でしたから、年貢を高くしなくても御家人達(このばあいは徳川家ですから旗本ですね)を養えたからです。
こうした背景で事業家が出てきて、江戸時代も元禄の頃には、米本位制の封建主義が表の体制であるのにたいして、実質の経済が現金で流通する資本主義になっていたのでしょうね。世界で最初の商品相場市場は大阪堂島の米市場ですからね。