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(回答先: 「イラク邦人人質事件」は」日本における左翼の責任感の欠如を露呈した事件 投稿者 TORA 日時 2004 年 4 月 24 日 10:15:37)
>TORAさん
おはつです。真相ハンターKというアホです。宜しくお願いします。
まず断っておきますが、私もTORAさんのご意見に賛成です。特に結論と言える
>この事件を契機に、我々はもう一度【責任】について考えるべきではないでしょうか?
は私が思っていた事そのものです。
現在の日本では「バランス感覚が欠如しているのかな?」と思われる人が多く見受けられます。一時の思い込みや思想的な感情論で意見を発して反対の意見には姑息な手段での反論とも言えない理論で意見の抹殺をしようとしたりします。姑息な手段とは「その人の意見の要旨」に直接関係ない「過去の過ち」であったり、過去に理論破綻した評論家の意見との対比とか、その人が属しているであろう組織の批判だったりします。まあ、それくらいならマシな方で「その人が知らないであろう外国語などを使用して」知識無いものは意見を述べるべからず的な行為や、妄想や噂からの発言者の人格の否定行為なども行われ、この辺に来ると「お前のかーさんデベソ」とののしり合う子供の口喧嘩と同レベルにまで陥って真実の究明には遠くなっていきます。
さて、今回の「邦人人質事件」の「責任論」ですが、基本的には賛成なのですが、最近は少し危険と感じ始めています。この件が一気に「責任論を問え派」に傾いたのは、人質家族の「ワガママ」としか思えない「政府の責任論」でした。そこには自分の義務を忘れた視点からの権利意識の全面主張があったわけです。それに、むかっ腹を立てた人がいて「2ch」や「談志師匠」の現象を生み出しました。基本的には現在の「責任論」はそのような立脚点の上に建っています。つまり感情論から生み出された訳です。
立脚点は兎も角、理論が正論ならば良いのでは?と言う意見は正しく見えますが、危険なのです。「人間はミスを犯す動物」です。最近の日本ではその点が無視されて来ている傾向が強くなってきています。「マニュフェスト」と呼ばれる数値目標に代表される徹底的合理主義が全てのミスを否定する方向に押し流そうとしているのです。
人間はミスをする動物だという視点と、人間社会は数値のみでは測れるものでは無いと言う視点を考慮した時「理論的には完全と思える責任論」は非常に危険なものとなる訳です。「女性の平等」、「差別の無い社会」という理論のみの先行した「正論」が現在「行きすぎた平等」とか「逆の意味の不平等」を生み出しているのでは?と私は思っています。
まあ「責任論」につきましては慎重な上にも慎重に臨むべきでしょう。感情論を完全に廃した後に「実社会」「人間の不完全性」を考慮してから、行きすぎないように歯止めや限度を設定してから考えないと、一見正しいだけに危険なのです。