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読売新聞が配信したウェブニュースによれば、イラク駐留米軍は20日、バグダッド西約20キロのアブグレイブにある、イラク戦争後に米軍が拘束した旧フセイン政権残党や反米武装勢力などが収容される連合軍拘置施設に同日、迫撃砲12発が撃ち込まれ、イラク人受刑者22人が死亡、100人近くが負傷したと発表した。
アブグレイブ刑務所といえば、米英軍が反米派と決めつけた市民を無理矢理連行して収容している施設で、2003年8月16日にも、迫撃砲が撃ち込まれ、受刑者6人死亡、59人が負傷。
この時も米英軍にとっては、都合よく、亡くなったのは、収容されている「反米派」市民ばかりで米兵ではなかった。
その直後、不可解な事件が発生する。
17日には、刑務所周辺で米軍の戦車を撮影していた「ロイター・テレビ」のパレスチナ人カメラマン、マゼン・ダナ記者が、米兵による銃撃を受けて死亡した。米統合参謀本部の広報官はロイター通信に対し、米兵がカメラをロケット砲と誤認して銃撃したことを認めた。ロイター通信によると、一緒に取材していた録音技師は、同記者が米軍の戦車に乗っていた兵士に撃たれたと証言。同記者が最後に撮影していた映像にも、戦車が同記者の方に動いている様子と戦車の銃声が記録されていた。
当然、この時、16日の迫撃砲によるイラク人拘束者の死亡事件も米軍によるものとの見方が強まったわけだが、ここで、それを打ち消すかのような事件が起こる。
今度は、米軍に被害がでるのである。
同年9月20日夜(日本時間21日未明)、迫撃砲弾二発が撃ち込まれ、警備の米兵2人が死亡、13人が負傷。
これは、米軍の自作自演説を否定するにはまことに都合のよい事件であった。
2004年1月8日には、駐留米軍によって拘束され、アブグレイブ刑務所に収容されたイラク人の釈放が始まり、釈放が予定される約500人のうち約100人が釈放された。
ところが、その後、この刑務所から拘束者が解放されたという報道は日本においてはまだない。
今回の迫撃砲事件も、拘束者の口封じにはまことに都合がよかったわけである。