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(回答先: Re: 「坂本弁護士一家殺害事件」 [麻原国選弁護人渡辺脩氏の著作より] 投稿者 オリーブの栄光 日時 2004 年 3 月 09 日 06:20:36)
オリーブの栄光さん、レスありがとうございます。
坂本家が“安全”には気を使っていたことや都子さんが夕食の後片付けをしないまま眠る人ではなかったということが、午前3時に施錠していない部屋に入り込み殺害したという検察の主張を揺さぶっていると思っています。
日常的な二つが、あの日に限って二つとも実行されなかったという偶然は考えにくいことです。
(夕食の食器や来客用の湯呑が片付けられていなかったことから、夕食後それほど遅くない時間に来客があったり、就寝前に外出したと推測したほうが自然だと思っています)
坂本事件以外はおいおい書き込みをしたいと思っています。
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【岡崎一明被告に関する情報】
● 岡崎被告と神奈川県警のつながり:95年4月29日:5月9日まで神奈川県警と連絡のもと中国人女性と結婚するために中国旅行
渡辺脩氏/和多田進氏『麻原裁判の法廷から』(晩馨社・1600円)より:
P.49の「岡崎一明被告の行動経過(97年11月7日証言)」の表から抜粋
(坂本事件は89年11月3日から4日にかけて発生)
90年2月10日夕方:教団から脱走・脱会を決意。荻窪の事務所から選挙資金三億円を持ち逃げ杉並道場から妻を連れ出し、亀戸の教団施設に金を隠匿。
(早川証言によると、教団側は直ちに岡崎の持ち逃げを知り氏名を特定して所轄署へ被害届を提出。後に早川が現金二億二千万円入りの宅急便を取り戻し八千万円の預金通帳等は岡崎が教団へ返還)
90年2月16日午前:龍彦ちゃんの遺体に関する投書(横浜法律事務所と神奈川県警宛)を投函。
90年2月20日午後:坂本夫妻の遺体の投書を東京駅で投函。麻原被告に投書の件を話すと、「幾らならいいんだ」という話になり、結局一千万円に。手持ちの百七十万円を引き八百三十万円を振り込んでもらうと決め岡崎のほうが投書の回収を約束。
90年2月21日朝:横浜の郵便局で投書を回収(この日、岡崎の投書に基づく龍彦ちゃんの遺体捜索が行われ、ニュースも流れた。岡崎は自分の裁判で「投書回収の翌日」に遺体捜索を伝えるラジオニュースを聞いたとしており、ズレがある)
90年9月1日:以後、十回くらい神奈川県警が山口県小野田署で取調べ。坂本事件につきポリグラフ検査の結果、「犯人でなければ出ないような結果が出ている」旨言われた。
以降、神奈川県警と月1回くらいの定時連絡。
95年4月7日朝:坂本事件の自白をはじめ、神奈川県警がメモ取り。
95年4月29日:5月9日まで神奈川県警と連絡のもと中国人女性と結婚するために中国旅行。
95年5月20日:坂本事件の自白調書・上申書作成
95年9月6日:逮捕