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(回答先: 平安のみやこ、海上ルート 投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 13 日 02:00:26)
まっくす様、
『半村良、気になる人です。『産霊山秘録』『石の血脈』くらいしか読んでませんが。』
あ! そうでした! ウロ憶えで、確か猿飛のことも書かれていたと思ったので
勝手にタイトルを作ってしまいましたが、間違いありません、
『産霊山秘録』です。読んでおられるんですね。
あたくしは、たまたま古い文庫本を人からいただいて読んだだけだったんですが、
あんまり面白かったので捨てられずに取ってあります。
『でもヒの一族、ネの一族・・・と来ただけで、今思うとこの人相当わかってた人だと
思います。』
オシラサマ、というのは半村氏の想像の産物かと思っていたら、
蚕の神様か目の神様か何かで、本当にそう呼ばれている神様があるのだそうですね。
『『妖星伝』、いつか読みたいリストに常時入ってます。』
それも日本史のその辺りに関係する話なんですか?
『Mさんへのレス見ると、ぷち熟女さんは平安京に縁の深い方らしいですね。雅な雰囲気
醸し出てるのはそういう背景があるからか・・・もしそうだとしたら、古い文献とか
家にあるでしょ?大事にしたほうがいいと思いますよ。』
400年と書きましたが、終戦の年から400年前だと1500年代の創業になりますが、
後でそれは古すぎだと思いました。
200年は確実ですが、正確には、親戚に尋ねないと分かんないですね。
母方のことであり、古文書の類いは直系の伯父・叔父たちで保存しているはずで
うちにはそういったものは一部もありません。
『雅』ですって!?
ハンドルネームって怖いですね。いくらでも騙せちゃう(笑)。
『松尾大社、ご存知ですよね。いまは酒の神として信仰されているらしいですが、
酒って大避(おおさけ)神社(兵庫県)の「サケ」につながっていて、その昔は、
大闢神社と書いたそうです。「大闢」はくせもので、旧約聖書がらみです。
いずれにしてもキーになるのは「秦氏」です。松尾大社近辺を開拓したのが
この氏族らしいんですが、「秦氏」を追ってくと面白いですよ。
京都→中国(秦の始皇帝)→弓月君→西域とさかのぼって、仕舞いはメソポタミアあたりへ
つながっていきます。』
これは日猶同祖論ですか。
だとすると、何故ユダヤと言わずメソポタミアと言われるのですか?
日本・ユダヤ封印の古代史などという、NYのラビによって書かれた本を読みました。
マービン・トケイヤーとかいう・・・。
その辺りのことは全て書かれていたと思います。
まっくす様の今までの研究成果と比較されて、日猶同祖論というのはいかがですか。
あたくしは『大イスラエルを日本にまで適用しないでよ』と少々引いてしまいますが、
あれが信憑性のある話だと仮定すると、現在のシオニスト達は
中央アジア起源のただの改宗ユダヤ教徒の血筋だが、
古代に日本に帰化した者たちはセム系であった可能性がありますね。
イスラエルではセム系はどちらかと言えば被差別民ですから、
やっぱり日本人もそれでいじめ抜かれているわけなんですかね?
そう思うと、日猶同祖論を楯に擦り寄って来られてもちょっと怖いんですが。
どう思われますか?
それに日本の神道や古代史関係の最重要級の資料は、第二次大戦後の米軍駐留時代に、
米政府にかなり持ち出された、などと聞いたこともあります。
こちらにとって一番大切なことを、もうあちらの人間しか知らない、
あちらに握られて隠されてしまっている、という状況ではないわけなんでしょうか?
折角東京が風水で出来ていても、国内の米軍基地の配置がその調和を壊している、とか・・・(例えですが)。
『古代史のスケールは我々の想像を絶しています。陸路だけでなく
海路が重要だったりするみたいなんです。伊豆から北米経由南米という信じられないようなルートさえ話題に上ってるくらいですから。』
これは存じませんでした。
またご教示下さいませ。
古代に南米に渡って現在のインディオの祖となったのはモンゴルの方の人々だったと聞いたことはあるんですが
今の日本からも行ってた可能性があるんですか。
『M氏はまだまだ違うルートのネタ持ってるはずですから、そっちからも支援が来るでしょう。
知れば知るほど面白くなっていくと思います。じゃまた。』
そうですね。
Mさま、そういうわけで、あたくしは本当にものを知らないし、
何をキーワードにして検索したものやら分かんなくて困ってます。
ですから、何でも結構ですから、もう少し教えて下さい。
手始めに、東寺のことについて、もう少し、核心に迫っていただく、というのはいかがでしょう。
ではまた、ごきげんよう。