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(回答先: よく分からない話について 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 15 日 20:28:48)
三神たけるのお伽秦氏
「静岡」
三神たける
4月12日
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先日、熱海に行ってきた。東京から新幹線で行くと、あっという間である。伊豆半島の東側、しかも付け根に近いせいか、どうも神奈川県のイメージがあるのだが、ここはもう静岡県である。
伊豆半島の西側、黒潮に洗われる駿河湾は一年中温暖である。そのため、静岡県はみかんやお茶の産地として有名だ。学生時代から静岡県出身の友人が多いため、しばしば当地は訪れるのだが、雄大なる富士山の姿を見て暮らす生活は、やはりうらやましい。
そんな静岡だが、県名の由来については、意外に知られていない。もともと、静岡という地名があったわけではないのだ。調べてみると、静岡県が誕生したのは、明治時代。廃藩置県が実施されたときのことである。駿河府中の名を「賤が丘」と考案。これに物言いがついて、最終的に「静が岡」、すなわち「静岡」と命名されたという。
では、最初の「賤が丘」とは何なのか。実は、静岡市の北に「賤機山」があり、この麓に位置するところから、考え出されたものらしい。つまり、静岡とは、賤機山にちなんで付けられた名前なのである。
かつて静岡の友人に案内されて、賤機山に行ったことがある。そこには現在、浅間神社があり、境内には古代の古墳が存在する。その名も賤機山古墳というのだが、時代的には6世紀ごろと見られている。
興味深いことに、賤機山の周辺には麻機や服織なる地名がある。賤機山の賤ハタ山、麻機の麻ハタ、服織のハトリ。いずれも秦氏を連想させる。これについて、金達寿氏は、ずばり駿河一帯を開発したのは秦氏だったと主張する。
なかなかの卓見である。と、すれば、だ。静岡の由来となった賤機山、そのまた由来は秦氏ということになる。三段論法でいえば、静岡は秦氏にちなむ名前だったといえなくもない。
ひょっとすると、お茶やみかんを特産品に仕立てたのも、秦氏が関わっているのかもしれない。これから、しばらく静岡の秦氏を追ってみたいと思う。
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三神たけるのお伽秦氏
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