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(回答先: 都教委:君が代斉唱で起立しなかった教員171人を戒告 [毎日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 01 日 04:14:59)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
東京都立高校などの卒業式をめぐって国旗・国歌の強制に反対する社説を2度掲げた(3月18、31日)ところ、思わぬ批判をいただいた。
産経新聞のコラム『産経抄』は「そうまでして国旗・国歌を貶(おとし)めようとする論調は、なんとも悲しい」と、朝日新聞を名指しで批判(1日)。読売新聞は「甲子園では普通のことなのに」という社説(31日)を掲げ、春夏の高校野球の開会式などで行われる国旗掲揚や国歌斉唱は「国旗や国歌が、暮らしに溶け込んでいることを実感させる光景だ」と書いた。朝日新聞社が主催者の一人であることを意識してのことに違いない。
さて、私たちの主張は何か。卒業式で日の丸を掲げるな、君が代を歌うな、などと言っているのではない。処分という脅しをかけて強制するのは行きすぎだと主張しているのだ。それがなぜ国旗・国歌を貶めることになるのだろうか。
戦前の経緯や思想信条、宗教などの理由で、国旗・国歌に複雑な気持ちをもつ国民がいるのは事実である。どうしても嫌だという人に無理やり押しつけるのは、民主主義の国の姿として悲し過ぎる。私たちはそう言っているのだ。
確かに甲子園の開会式では国旗掲揚と国歌斉唱が行われ、役員、選手には脱帽を求め、観客には協力をお願いしている。しかし、処分をたてに強制などはしていない。もちろん監視員などいないし、罰則もない。現に起立も斉唱もしない観客はいるが、だからといって退場を求めることはありえない。
だが、都教委は違う。170人余りの教職員を戒告とし、5人の嘱託教員の契約更新を取り消した。明らかに式を妨害し、混乱させたなら別だが、起立しなかったり退席したりしたことが懲戒処分や雇用機会を奪う理由になるのか。憲法が保障する「思想及び良心の自由」を侵す疑いが強いと考える。
国旗・国歌法が99年に成立したとき、当時の小渕首相は学校での扱いについて「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えておりません」と国会で答弁した。当時の野中官房長官も「強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が必要」と答えていた。この記録を生徒に読ませ、「あなたの学校では首相らの約束が守られていますか」と尋ねてみたらいい。
多民族国家の米国では統合の象徴としての国旗への思いがとりわけ強い。国旗に対する「忠誠の誓い」を生徒に義務づけている公立学校も多い。そんな米国ですら「誓い」を拒む権利は連邦最高裁が1943年に認め、同様の判例が重ねられてきた。それこそ国家が守らなければいけない一線だ、というかのように。
しろじに あかく ひのまる そめて ああ うつくしい にほんの はたは
小学1年生は、みんなこの歌を習う。日の丸を美しいと思う心は、強制して育てるものではない。