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Re: 人間性というものは、「自然」を逸脱したものだと思っています
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/881.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 2 月 07 日 03:15:35:
あっしらさん、おひさしぶりです。
「人間が、自然を逸脱できるなどと考えているからおかしくなる」
というレスをいただきましたので、お返事を差し上げたいと思います。
あれから、3ヶ月ほどがたちましたが、
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/881.html
の結論から、あまり変わるものとはなっておりません。
人間という存在は、確実に自然界全般から、遊離しているというのが実感です。
からだのあり方というよりも、人間の精神的実存の問題です。
人間性というものは、やはり不可解な物なのです。
そのあり方を解明すべき論理や理論の主なものとして、「心理学」「精神分析学」等は有名です。しかしながら、これらが把握可能なのは、あくまで全般的傾向に過ぎないのです。また、「全般的傾向」も時代性に隷属するものですから、「心理学」「精神分析学」なども、時代とともに変遷を遂げることにより、現実性に対応していくというのが実情です。
・人間性を「脳細胞(からだ)」という物質が生み出していると断定できる証拠もない。
唯物論的研究者は、人間性を「脳細胞(からだ)」という物質が生み出していると断定し、その信念によって、人間をはじめとした、
生物の精神的実存のありかを、物理学的次元に収束させるべく、追い求めようともがいています。
しかしながら、心理学者や医師たちはもう少し現実的です。この問題(・でマークしたところ)には、あえて手を触れず、脳をブラックボックスであるとして、それ(脳)が生み出す現象を、系統的に整理するというところまでしかやりません。その結果が、「心理学」「精神分析学」です。なぜなら、彼らの目標とは、「人間性」を物理学的次元において理解することを目標としているのではなく、
目の前に実存している、個人としての人間(あるいは「大衆」としての人間)を救ったり、理解(この場合は、概念的にという意味です。)したいと思ったりしているに過ぎないからなのです。