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(回答先: 人間性というものについてどう理解すべきか。[あっしらさんへのレスです] 投稿者 乃依 日時 2004 年 5 月 18 日 18:47:44)
>人間という存在は、確実に自然界全般から、遊離しているというのが実感です。
>からだのあり方というよりも、人間の精神的実存の問題です。
(1)人間性は、客観的に見れば、自然界の法則から遊離していない。
(2)人間性は、主観的に見れば、自然界の法則から遊離している。
これはあっしらさんの言うように、人間の主観性が「思いこみ」の世界にあるからです。
>「自然」から逸脱できる能力なんかこれっぽっちもないくせに、いきがってできるとかしたと思い込んでいるからおかしくなるのです。
人間はその主観性においては「思いこみ」の力で、ありとあらゆるものになることができ、ありとあらゆる世界に行くことができ、ありとあらゆる世界を作り出すことができます。「客観的な世界」というのもその中の一つです。
「客観的な世界」という思いこみは、主観的な思いこみですが、それは「主観の有無に関らず存在する世界」という思いこみです。
「主観の有無に関らず存在する世界」が存在することは、すぐに気がつきますね。寝るときには、今日の世界が明日にも継続していることを確信しています。
「客観的な世界」が自然界の法則に従っている、というのが現在の自然科学の結論です。
人間も「客観的な世界」の中にあります。
しかし、その「客観的な世界」の中にいるのは「他者」です。「私」ではありません。
「私」は主観的な存在として思いこみの力によってたくさんの世界を持っています。
「私」にとっては、客観的な世界というのは、「私」が持っているたくさんの世界の中の一つに過ぎません。
では、「私」は「客観的な世界」の中にはないのか?
この問いは、「私は私の主観性の有無に関らず存在するか」という問いと同じです。
「私」は、寝るときには、今日の「私」が明日にも継続していることを確信しています。
つまり、私は「私が客観的な世界の中に存在する」ことを確信しています。
「私」と「客観的な世界」とは相互に包含しあう関係にあります。
つまり、「私」が「客観的な世界」を持っているのであり、同時に、「客観的な世界」がその中に「私」を含んでいるのです。
矛盾を感じますか?
この矛盾をどうにかしたいですか?