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(回答先: なあんだ、いらっしゃるんじゃないですかー。 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 5 月 06 日 19:30:57)
ヒマを見つけてコソコソサイトを盗み見るくらいの時間はあります。
雑談話だったら、すぐかけるんですけどね。
「貨幣」に関するあっしらさんとまっくすさんのやり取りは、確かに中断した形になっているようですね。「こんなのをタダで読めるのが、阿修羅の醍醐味だ」と思っておりますので、再開を楽しみにしています。
以前もいいましたが、金融に勤めていますけど、経済のことはからきし分からないので、金融の立場から特にコメントすることはありません。
あっしらさんからも、「一度出て来い」的なお誘いを受けたので、なんか書こうかなあ、と思っていたら、どんどん話は進んでいくので、合いの手を入れるきっかけがなかったですね。(下にそのとき書いた未完成の文章貼り付けておきます。)
ところで、せっかく声をかけていただいたので、私からも質問していいですか?
イタリアは、観光旅行で家族といったことがあるだけなんですが、その時感じた疑問をいくつか。
1.フィレンツエに行ったとき、中心部の教会(名前を忘れました)からそれほど離れていないところに大きな目立つ様式のユダヤ人のシナゴーグ(?)があったように記憶しています。
ロンドンのシナゴーグは、目立たないいわば日本でいえば団地の自治会の集会所のような趣があるのですが、イタリヤのユダヤ人は、もっと目立っているのでしょうか?(フィレンツエ膳政治のものではなく、19世紀頃の建造物だとのことでした。)
2.ローマである日本人に聞いた話では、確か国会の議長だかななんだかに、ユダヤ人が就任している、とのことでした。本当でしょうか?またユダヤ人は、経済関係ではなく、政治面にもかなり進出しているのでしょうか?
3.ウフィツィ美術館に行ったとき、誰の絵だったか忘れましたが、キリストの肖像画の頭のチョッと上のところに、例の一ドル札の裏側のピラミッドに目の玉の絵が書いてありました。ガイドさんに聞いても「あの部分は後の時代に書き加えられたもの」との説明がるのみで、それ以上説明してくれませんでした。
どうしてあんなにわざとらしくあんなものを書き加え、そして飾っているのでしょうか?
皆がそれを見て「はーんなるほど」とは思うものの、黙りこくる、ということを見越してあえて飾ってあるということでしょうか?
4.バチカンの美術館の横がわから観光客は入りますが、しばらくいくと、廊下に各地の大きな地図が飾ってあるところがあります。
あれって、教皇に献上された土地ではないか、と思われるのですが、どうも日本地図も昔飾ってあった(今もどこかに飾ってある?)ような気がするのですが、どんなものでしょうか?
5.昔司馬遼太郎を読んでいたサラリーマンオヤジだった私としては、そのまま行けば、塩野七生に突入するところでした。(因みに彼女の本は幾つかの推理小説しかよんだことありません)
ローマシリーズのどんなところが問題なのでしょう?
将来定年になったら、かあちゃんに邪魔者扱いされながらも、ローマ人の物語でも読んだり、うとうと昼寝をしたりするジジイになった自分を想像していたものですから、、、。
6.イタリヤでは、パスタもピザもその辺のレストランに入ればどこでもおいしく感じるのに、ロンドンでは同じイタリヤ人が経営していながら、高いところも安いところもどうしてイタリヤほどおいしくないのでしょうか?イタリヤ人は内心イギリス人の味覚を馬鹿にして、わざとレベルを落として出しているのか、などと勘ぐりたくなるのですが、、、。
観光で、私の気分が昂揚しているからおいしく感じるんじゃないの?という説明では納得いかないものを感じるんですけど、、。
以下まっくすさんとあっしらさんのやりとりに横レスしようとして、貼り付けそびれた未完成の文章
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ところで、一つ気になった点をあげさせていただきますと、
<日本に保有量の規制があり、マンハッタンの地下金庫に世界各国の保有する大量の金地金が「人質」にとられている事実を勘案すると、世界通貨が金地金を担保に置くことになる可能性は高いですね。
にもかかわらず、ここには、あっしらさんをしても、と思わせるような「マイナス族のプラス志向」に影響された杞憂が表明されている感じです。私は基本的に、通貨の通用(信用)力の担保は「ひと」だと考えています。>
私の感覚でいうと、あっしらさんのいう「日本の産業力を“そのとき”まで「供給力過剰(貿易収支黒字)」で維持すること」の中身を因数分解して言い方を変えると、「通貨の通用力(担保力)は「ひと」だと考えています。」という言葉とほぼ同じ意味になるように思えるのですけどね。
私風の言い方をさせてもらいますと、以下のようになります。
日本人は物やサービスを作る際には、単なる金儲けだけでは満足しないのだと思っています。物やサービスの中に「相手を裏切らない日本人の心」のようなものを込めようとしてしまう。そしてその物やサービスを購入した多くの海外の人々が、その商品を通して意識的にせよ無意識的にせよ「日本人の心」を感じ取っているのではないか、と思います。
日本人が、お互いに肩に力を入れることなしにお互いを信じあい、その結果としての心を物やサービスにこめてしまうことを止めない限り、日本の物やサービスは海外の人々の心を捉えつづけることでしょう。それが、あっしらさんの言葉でいえば、産業力・供給力を維持しつづけること、という意味になるでしょうし、まっくすさんの「人が担保」という言葉になるのではないか、と私なりに解釈しています。
これを裏返していいますと、海外に住んでいる人々にとって、お互いに信じあうということがいかに困難な状況下に置かれているか、ということをもっと日本人は知る必要がある、ということにもなると思っています。日本人は日本で出来上がった自分たちだけの思い込みやイメージを、ややもすると海外の人に押し付け勝ちです。お互いが信じあうということの難しい状況に置かれている人々が大勢いるということをもっとビビッドに想像できる人間でありたいものです。
また、上記のことを逆手に考えてみますと、日本の産業力を削ぐためには、その基盤となっている「日本人どうしが信じあうこと」を突き崩していくことから始める必要がある、ということになります。
若干話はとんでしまうのですが、
先週(3月中ごろだったと思います)、アメリカに国際会議の準備会に行ってきました。そこでの雑談の中で、ドイツからの代表委員と今の日本とドイツの経済状況の悪さに話題が及びました。色々しゃべった挙句、彼は「ドイツ人は(誰かさんみたいに)金儲けだけで物を作っているわけじゃないからねえ〜。」というのです。彼はもちろん私の話す文脈に合わせて上記をしゃべったのだと思いますが、 もちろん本気だったと思います。
日本人だけが「金だけでは仕事をするモチベーションにはならないだよねえ」ということではない事の一例です。ドイツも、アメリカから、会計制度を変えろといわれたり、株の売り崩しをされたりしている諸々の環境も日本と同様です。
もう一つ思い出すのは、以下のエピソードです。
昨年だったでしょうか、トヨタの工場が火災を起こして部品が足りなくなったときに、他のメーカーがその部品を(おそらく通常の値段で)分けてやるというようなことがあったと記憶しています。
「経済合理性」から言えば、この行為は説明できません。(部品を至急欲しいという需要者がいれば、その物の値段は上がるのが海外の人にとっての常識なのでしょうから。)
ところが、日本人からすれば「困ったときはお互いさまじゃん」というシンプルな言葉だけで完璧に説明できてしまい、それ以上の説明はいらないのです。
このときのこのニュースに関するイギリス人の印象は「日本人って理解しがたい。薄気味悪い。侮れない。」といったようなものだったと思います。
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