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(回答先: Re: ヒマを見つけてコソコソサイトを盗み見るくらいの時間はあります 投稿者 リーマン 日時 2004 年 5 月 07 日 01:30:25)
こんにちは。
イタリアは、ぶらぶらと旅行をしたことはあるのですが、あの面白さは一体なんなんだろうかとずっと思ってました。私は旧ユーゴ圏からトリエステを通ってベネチアの方に向かうという、考えてみればどうしてそんなことをしたのだ?という通常でないルートで入ったせいか、イタリアって、ヨーロッパというよりはっきりこれはスラブ込みで中東の方に向いてないか? との感想を持ちました。
それはともかく、1〜5は該博な知識をお持ちの熟女さまにおまかせするとして、
<6.イタリヤでは、パスタもピザもその辺のレストランに入ればどこでもおいしく感じるのに、ロンドンでは同じイタリヤ人が経営していながら、高いところも安いところもどうしてイタリヤほどおいしくないのでしょうか?イタリヤ人は内心イギリス人の味覚を馬鹿にして、わざとレベルを落として出しているのか、などと勘ぐりたくなるのですが、、、。
観光で、私の気分が昂揚しているからおいしく感じるんじゃないの?という説明では納得いかないものを感じるんですけど、、。>
私はこれをアメリカで考えてました。住んでいて、どうしてこうまでイタリア人がやってきて、そしてこれなのだ、と。
食べ物につられてヤバい小路に入ってしまうようなところがあるもので、イタリアでは恐い半分おいしい半分のことが随分ありました。言葉は悪いですが労務者風の人が多い地域とかで、こんなにおいしいものを食べてるのかぁ、あんたら! みたいなものすごい感激と嫉妬を覚えたことがありました。
それはそれとして、要するに、食べ物は「お客さん」志向なんじゃないでしょうか。しかし、客がダメならダメになるという話ではなくて、本物を持って来たとしても改竄されてゆく宿命で、いいとこハイブリッドなのじゃないでしょうか。で、日本の場合はたいてい本家よりおいしいかも?というものがあるところだ、と私は言いたくなりますが、しかしこれももしも、本家との対比においてということになれば、客の志向に流れていることには変わりはないと思われます。高止まりはないと。
あと、もっと具体的な制限も小さくないかと思われます。それは高緯度天気悪い地帯の野菜の貧弱さ及びこれを食べ続けてきた人々の味蕾の未開発(と勝手に私は予測してる(^.^;;)が致命的な制限なのではないか、と。