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(回答先: パッション 投稿者 baka 日時 2004 年 5 月 03 日 17:47:49)
はじめまして。
問い1・2に関して
旧約の出エジプト記に、以下の記述があります。
出24:5 彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。
出24:6 モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、
出24:7 契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、
出24:8 モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」
神とユダヤ民族の血によって契約されたと書かれています。言い換えると神と人間の和解には、血を償いを必要としていたそうです。
新約のマタイによる福音書に、以下の記述があります。(他に、マルコによる福音書14章24節、ルカによる福音書22章20節)
マタ26:27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
マタ26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
キリスト自身が血を流すことにより、神との新しい契約が結ばれたと解釈されています。更に、マタ26:28に「多くの人のために」と書かれています。この意味に関して、マルコによる福音書に以下のように書かれています。
マコ16:15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣 べ伝えなさい。
この言葉によって、神と人類との和解が結ばれたと解釈されています(普遍主義)。
問い3 現代において福音書の記述も復活の事実も誰が証明できるのであろうか?
ヨハ20:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
ヨハ20:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
ヨハ20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
ヨハ20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
ヨハ20:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
ヨハ20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
と書かれています。
>隣人さん 既視感の定義です。
デジャビュ 2 [(フランス) d j vu]
一度も経験したことのないことが、いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられること。既視感。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=1341420-0000&kind=jn&mode=5