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(回答先: Re: 二つほど気になったことを... 投稿者 黒望 日時 2004 年 6 月 19 日 15:27:28)
黒望さん、レスありがとうございます。
>あっしら氏は「将来を考慮して今を生きる」点に重点を置き論拠を進めています。そ
>れに対しては小生は「全てはなるようにしかならないので、それを今を楽しむべきが
>人生」とお答えしよう。この解説は次の解答で示すことになります。
私は、「将来を考慮して今を生きる」のも「暇つぶしの連続としての今を生きる」のも各人の勝手だろうということを前提にしながら、歴史的に形成されてきた今は、「将来を考慮して今を生きた」ことの成果をも与件としていると考えています。
「全てはなるようにしかならないので、それを今を楽しむべきが人生」というお考えは、スローガン(心情の表明)として大きな意義があると思っています。(私もそう思っています)
しかし、「全てはなるようにしかならない」という前提から、「それを今を楽しむべきが人生」という結論のあいだは、すごいジャンプがあるのではないでしょうか。
「全てはなるようにしかならない」を前提としても、「全てはなるようにしかならないので、あれこれ何も感じず生きるのが人生」とも、「全てはなるようにしかならないので、したいことがなるようにして、なんとか今を楽しみ明日も楽しむのが人生」と言えるはずです。
(支配者の駒に「全てはなるようにしかならない」の“なる”の意味を考える必要はないという「智のゲーム」はいちおう脇において...)
>「宗教においても科学においても検証不可能で利用出来ないものは全て無価値であ
>る。」と小生は考えます。
受け容れられるお考えですが、検証可能とは何かという問題は重要だと思っています。
(「智のゲーム」としては、“検証不可能でも、利用出来れば価値がある”ということや、検証可能性とは何かという認識論的な問題を意図した問い掛けです)
>現在の状況を判断した時、宗教は人を拘束する意味合いでしか価値はないでしょう。
>科学においては実生活面で利用出来るものには価値があるでしょう。
>数式のみで実際の生活に役立たない科学には現在における価値はないでしょう。
>将来的おける価値を考慮したならば宗教より科学に期待しますが。小生生存中に実現
>できぬ科学には小生が価値を認める必要があるとも思えません。研究者の暇つぶしと
>いう意味合いでしか価値はないのです。
科学は、宗教的世界観を宗教から切り離した“宗教的世界観”に基づいて行われているものという認識をもっているので、そのまま受け容れられませんが、意図としては理解できます。
>無神論には色々な意味がありますが、小生は検証不可能な実証性のない理論の価値を
>認めないという意味で使用しました。誤解を招く様でしたら「現実主義者」とでも訂
>正します。
「無神論」は、神の不在という、検証不可能で実証性のない考えを論証しなければならないものですから、あなたのようなお考えの方はあまり「無神論」なる言葉は持ち出されないほうがいいと思います。(「有神論」(超越神の実在)と「無神論」(超越神の不在)は、ジャイアンツファンとアンチジャイアンツファンの関係と同じです(笑))
科学は、検証不可能で実証性のない「世界観」をひとまず認め合う(共有する)ことで成り立つものです。
ですから、現実主義者は、科学ではなく、科学的態度を前提としているとは科学ではない技術に価値を認めなければならないはずです。
>>なお、イラクは政治的に脱宗教体制がずっと続いてきたので
>とのことですが、それが分裂を呼び、テロの土壌を築いたと小生は判断しているので
>今日における状況判断では圧倒的な武力による価値観の強制変更の押しつけも無下に
>否定する必要はないと思っています。
フセインが曲がりなりにも統合していたイラクを分裂させようとしているのが米英政権連合だと思っています。(分裂と対立を持ち込むのが支配をうまくやる常道です)
9・11をはじめとするテロは、そのほとんどが米権力機関が中心になって行っている謀略だと考えています。(政策の自己正当化やイスラム憎悪(無能)意識の醸成が目的)
あなたの論である「全てはなるようにしかならない」や「ほとんどの人は支配者の駒でしかないこと」に拠って、それらについて否定も肯定もしないでおきます。
その上で、「なるようにしかならない」イラク(イスラム世界)は、米英政権(支配層)の目論見を達成させないと予測しています。(米英政権は敗北はしないが勝利できないという見方)
>智によるゲームでは利用出来る現象は価値を認めますが、実証出来ない幻想は誘導と
>いう役割でしか認めません。過去は過ぎ去った亡霊ですし、未来は予測不能です。今
>を楽しめればそれで良いのです。
お気持ちは了解です。
未来は予測不能ではなく、予測は予測であって予測どおりに未来が出現するわけではないだけです。(そうでなければ、楽しもうという意志さえ持てなくなります。自分も世界もこれからも少しは存続しているだろうという予測が必要)
予測不能であれば、技術(科学)の実用的応用という事実も成り立たなくなります。
そして言えるのは、もっともらしい予測は、デタラメな予測よりも、今そして明日を楽しめる糧になり得るだろうということです。
>人の価値観には多様性がありその多様性が今日を作ったのですし、今日にも明日を良
>くしようという自己犠牲的美徳に根ざした活動を行う人は多いです。その人達には感
>謝もしますが、全ては自己満足を求めたところに行動原理があるとも思います。しょ
>せんはなるようにしかならなかったのです。
「自己満足を求めたところに行動原理がある」には同意しますが、行動原理であるならなら、上述のように、未来予測から自由にはなれません。
せいぜいが、「ほとんどはなるようにしかなからないが、自分がしたいことをすることがそのなるをわずかながら構成する」としてしか言えません。
なぜなら、人為によってなることは、確認できないとしても、したいことをするという意志とそれをこうやってするという未来予測と方法論が背後にあるからです。
あなたの心情であれば、行動そのものを否定したほうがすっきりすると思います。
行動を肯定する限り、未来予測も“する意志”も必須となり、あることをして、極小とは言え、なるの一部を構成してしまうからです。