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(回答先: 詭弁のオンパレードと認識します。 投稿者 黒望 日時 2004 年 6 月 19 日 20:26:58)
黒望さん、どうもです。
あなたが「智のゲーム」とおっしゃったのでやり取りを始めたのに、私が書いた内容を詭弁と判断されたので、「智のゲーム」は完了とさせていただきます。
相互確認ができるやり取りの場で相手の表現を「詭弁」・「屁理屈」・「言葉の遊び」・「押し付け」といった類で評価する人は、「智のゲーム」のプレイヤーにはなりえないと従来より思っております。
(書籍を読むしかないなど相互確認できない条件ならば、それなりに許容できる判断だと思っています)
えらそうに「皆さん判っていませんね」という言葉から切り出した方なので、もう少し、骨のある方だと思っていましたが...実に残念です。
【黒望さん】
「まずは無神論に関する考察ですが、無神論を唱えるためには神が存在しないことを証明しなければならないようですが、それを詭弁と言います。何故ならば相手がその条件を認めない場合には義務が生じないからです。相手が「無神論を唱えるためには神の非存在の証明が必要」と同意しない限りはそれは無意味であるし勝手な論法です。」
私が、「「無神論」は、神の不在という、検証不可能で実証性のない考えを論証しなければならないものですから、あなたのようなお考えの方はあまり「無神論」なる言葉は持ち出されないほうがいいと思います。(「有神論」(超越神の実在)と「無神論」(超越神の不在)は、ジャイアンツファンとアンチジャイアンツファンの関係と同じです(笑))」と書いた意味をご理解できないようですね。
あなたのようなお考えをお持ちの人は、「無神論」という色が付いた概念を持ち出さずに、神の実在・不在は問う意味がないと言ったほうがいいのではという助言であり、あなたに、神の不在を証明しろと言ったわけではありません。
神が存在しているか存在しているか知ったことではないという考えと「無神論」は数千里も離れている考えなのです。
【黒望さん】
「>科学は、検証不可能で実証性のない「世界観」をひとまず認め合う(共有する)ことで
>成り立つものです。
というのも一面性を強調した詭弁です。確かにそのような面もありますが、多くは再現可能な実証されている原理の分析解明がスタートです。これは一面性の強調によるディベートの手法です。」
別にあなたとディベートしているわけではありません。私も、暇つぶしに「智のゲーム」を唱えるあなたと会話を楽しもうとしているだけです。
「世界観」と再現された事象はまったく別のものです。(頭のなかにある観念やイメージを統合した意識と感覚的認識対象とは峻別したほうがいいという助言です)
世界(宇宙)を再現することができますが?
できないどこか、人はその大きさもその始まりも知らないからこそ、ある「世界観」を認め合うことが出発点になるのです。
(パラダイムの共有なくして、体系的な科学理論を相互理解することはできません)
世界観の共有は、「一面性を強調した詭弁」ではなく、科学の出発点・土壌という基礎的問題なのです。
あなたが検証不可能性や実証性をたびたび語られるので言うのですが、「実証されている原理」といったものはありません。
原理というのは、事象を分析し総合的に思考してつくられた概念です。
ですから、同じ「世界観」で同じ事象を認識すると再び同じように原理が語れるというだけで、人の思考から離れて原理が存在するわけではありません。
原理とは、事象を理解して説明したものでしかなく、事象(認識対象)に内在しているものかどうかは検証不可能であり実証もできないものです。