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(回答先: 日本の取るべき戦略 その3 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 07 日 04:29:02)
>岩住達郎さん おはつです。真相ハンターKと言います。宜しくお願いします。
と言いながらこれが(真相ハンターKとしての)最後の投稿になるはずです。
これ以降はネームが変わります。今回は間に合わなかったので引退HNです。
岩住さんの主張は概ね理解しました。学歴の高そうな人のご意見だと思います。
しかし、残念ですが、彼方此方に間違いがある気がします。
そこで僭越ながら「みちのく中学校中退の最終学歴を誇るK」が論破に挑戦します。(笑)
岩住さんの第一の間違いは学歴に自負を持っている事です。
帰納法的思考をしたならば、高学歴の頭脳集団は決して良い政治を作り得なかった事がある程度立証されている訳です。
日本のエリート頭脳集団である官僚が、今日の破綻寸前で規律の乱れきった日本を作り出したという事実から推論すれば「高学歴者」は政治においてはほとんど何の意味も無い事は証明されているとも思えるくらいです。
一面的に表現すれば高学歴者と言うのは政府の方針への狂信者と言えなくも無い訳です。
高学歴こそ一種のステイタスと言う政府の作った幻想を信じてその道を歩んだのです。もし、その幻想の呪縛から解放されたのならば「高学歴をひけらかすような表現」は慎んだ方が良いでしょう。一概には言えませんがある程度の反感を買うでしょう。
摂理1〜5は現状では一番可能性の高い仮説として容認しておきます。しかし、今後、より一層可能性の高い仮説が出てくる可能性も勿論ある訳です。
もし「摂理なのでそれは無い」と岩住さんがおっしゃるのならば摂理3が崩れることになります。完璧な物事が存在する事になってしまうからです。
と、ここまでは本論ではありません
岩住さんの主張の骨子は「養老年金」と「与点制度」の2点に集約されると私はおもいます。(ただし、国内施策と言う意味合いです)
この提案には確かに一定の意味合いがあるとは思います。失敗したと言われる社会主義と行き過ぎれば弱者切り捨てにならざるおえない自由競争社会のバランスを思考により考えた訳です。結論はともかく、方向性とすれば「そこしかない」訳です。
でも、私とすると思考不十分と思います。
まずは「養老年金」ですが、政府管理は一理あると思います。しかし、それは「4000万円までの預入枠の拡大をした国営時代の『郵便貯金』です。」
私は郵便貯金の民営化と外国金融業の侵入は市場経済の破滅に繋がる理論と思ってますが、それとは別に「国がお金を持ちすぎる事は危険」だとも思っています。
現在の公営事業の民営化の流れは全て、国営企業がお金を持ちすぎた事に端を発しています。国の金庫に貯まってるお金は危険なのです。それも帰納法によってほぼ実証されている事実です。
更に言えば養老年金のみ相続対象外では意味があるとは思えません、もしもそう考えるならば「養老年金部分のみ相続対象で他の財産は基本的に国庫入り」でしょう。
なぜならば、そうでなければ「養老年金」を本気で掛けずに「他の民間年金」に逃げてしまう可能性が大なのと、自由競争原理をある程度認めている岩住さんの主張の「個人の努力」に親からの遺産相続という巨大な不確定要素が入ってしまい。努力のしない人間を認めると言う矛盾を容認する事になるのです。
Kは相続制度の全面見直しを前より主張してますが、上限は定めるべきです。(ただし、個人単位での場合です。企業と個人財産は明確に分離した上での話です)
摂理2にもありますが、確かに完全な公平などは無いでしょう。しかし、公平なスタートラインにする努力は必要な筈です。基本的には相続財産も「その人の努力」によって行われるべきです。単に血が繋がっていると言う理由だけで行うのは誤りだと思います。
その点を考慮されずに「養老年金部分のみ相続対象でなく国庫入り」なるご意見になっているのならば、考察不足としか思えません。
利権、年功序列、天下り、世襲などを悪の根元のように評価しながら、ある意味では世襲の一種とも言える「相続」について考察が浅いのは考察が充分であるならば「矛盾」で、そうでないならば「思考不十分」が証明されると思われます。
ただし、Kは年功序列などは日本の制度として「一定の理解を持つべきだ」と云う立場を採っています。ただ、それを主張すると「文化系的思考」とされそうなのでこの場ではこれ以上は触れません。
次に与点制度ですが、何故に分かりにくくするのでしょうか?
0点を起点にそこを最低保障として場合によってはペナルティを課すという減点もありえる加点方式の方が分かりやすい筈です。
確かに、人間は好きにさせると怠けます。その意味ではこの提案は無意味では無いでしょう。しかし、何故か分かりにくくしている気がします。
そもそも「大学卒業者は原則ゼロ」なのでしょう?(この辺に学歴至上主義の思想が見られると思われる原因があります)
個人評価方式は現在様々な分野で実際に行われていますが結構苦戦の様です。これは、まだ帰納法的に失敗した方式と言うレベルまでは行ってはいませんが、多分、いずれは行くでしょう。競争原理を認めた社会においては他人の評価している余裕などありませんし、
いずれ自分の障害になるかもしれない人材を正当に評価できるかあやしいからです。
与点方式ですと学生の評価は学校長が行う(責任を持つ)そうですが。物理的に言って無理な筈です。
最後に一応書いておきますが、「年金制度」の最大の問題点は「生まれながらに能力の低いと思われる人が、それでも、その人なりに努力をして(労働基準法の法内で)頑張ったとして老後安心に余生を送れるかが基準としての問題なのです。」
老後に向かって着々と4000万円の積み立てを出来る人や、手を抜いても楽々と大学に進学出来る人を基準にしたモノではありません。Kの様に努力しても赤点しか取れない人もいるのですよ
Kとすると理学部系の理論などという視点の固定化が視野を狭くしている気がします。
また、欧米的思考の欠点を指摘されているにもかかわらず、欧米的思考に捕らわれている気がします。欧米型思考は基本的に「個人を重視した合理主義」ですし、日本型思考は「組織を重視した心情主義」的要素が高いと思っています。
以上がKの意見です。文学系の理論で望んでいるのでは無い事はお分かりと思います。
その上で、もしも、少しでもKに押されるならば(Kは浅学非才のカス自認してますので)学歴が意味を持たない事は証明される訳です。(笑)
と、ある程度は冗談です。(学歴詐称だなどと言われても困ります)しかし、思考不十分はある程度証明されたと思っています。