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(回答先: 人間の思考に完璧はありえないのは摂理です 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 14 日 09:36:56)
>岩住達郎さん
真摯なレスに感謝致します。今までの私の阿修羅での感触では猛烈な反論が来そうだと思っていましたので、正直に言って「人格者」を感じる事によって全面敗北を認めて終わりにしても良いと思っています。
でも、それでは何も進歩が無いでしょう。よって反論を続けます。
まず最初にどうでも良い事なのですが、岩住さんのおっしゃる
>貴方の論点に偏見があちこちに見られるのは常に客観的な科学的論理を議論する事に慣
>れていない方には仕方が無いでしょう。何でも経験と努力で良くなります。
に、ついてはおそらく違います。ただし論法では無く見方がです。確かに私の意見には偏見があると思います。ある意味では(岩住さんの学歴重視等に)故意の強調をしてますので当然です。(これは本人に自覚があるかないかの「探り」の意味もあります)
もしかしたら「科学的論理の議論への慣れ」は不十分かもしれません。
しかし、岩住さんがKをまだ「青い」と思っているならば甘いのです。多分Kはこれ以上の(考察力という意味)での進化はできません。後は退化するだけです。(笑)
と、ここまでは前振りです。
とりあえず指摘するのは岩住さんの公務員への偏見です。岩住さんは17−1において「公務員は非効率」との意見を述べております。別に「自分の頭で考えない官僚批判」や「官僚が作り出す利権」等のご意見を全般的に考えますと、マスコミによって作られた「公務員」への偏見に相当とらわれている気がします。今現在は多分、相当数の公務員の方は「地獄」です。実際に民間企業から転職してきた人では勤まらないようです。役職者はかなり多くの人が「月100時間クラスのサービス残業」をしているようです。
例えば郵便局員ですが、都会では無く地方の中規模クラスの郵便局の窓口に行った事がありますか?多分ですが「何時言っても3〜4人くらいしかいない」はずです。今度は地方の信用銀行クラスの地方銀行に行ってみましょう。多分ですが「5〜6人の人がいる」はずです。(事務室レベルでの事です)
郵便局は3つの窓(郵便、貯金、保険)を持っていながら地方銀行より少ない定員で頑張っている事が多いのです。
役場の総務課とか郵政支社の中間役職者になると「家に帰れず長椅子で寝る事も多いそうです」場合によっては帰宅は週に1〜2日とかもあるようです。
それでも民間企業(特に倒産寸前の中傷民間企業など)には、それ以上の職場もあるかもしれません。しかし、公務員もそれに負けず劣らずの状況で頑張っている者も多いのです。
もっとも、その反面で労働条件をキッチリ守っている人も相当数はいるようです。ただし、それは当たり前でもあるのです。少なくとも既に勤務時間内で遊んでいるような公務員は(対民間企業レベルにおいては)いない筈です。
申し訳ありませんが、民間にすれば効率化されると思うのは「小泉首相とマスコミが作った幻想です」
私の父は公務員でしたがともかく働き者でした。父が退職しましたらそこは民間委託になりましたがなんと3人の人が後釜で働き出しました。つまり父は民間企業の人の3人分の仕事をしていたのです。
普通ならば父の給与は相当なモノである筈ですが、ハッキリ言って貧乏です。
全ての公務員がそうだとは言えませんがKの知っている人は大概の人が同級会にも遅れてきたり、来られなかったりします。全ては「親方日の丸」と言う事による偏見ではないかとも思います。公務員の人は言います。「景気が良い時は『細く長くで頑張れよな』などと臆病者の保守主義者が選ぶ職業のように評価しながら、一端景気が悪くなると『潰れない職業は反則なので民間にすべき』というのはどこか間違ってませんか?」
私は全面的にその意見を指示します。
ただし、その上で「無駄な抵抗やめてサッサと民営化受け入れた方が良いよ」が持論です。多分、公務員の民営化は流れです。これは止まらないと私は思ってます。余力があり、支援者や理解者が多い内に自分達より進んで「民営化」した方が有利と思うからです。抵抗して疲れ切って回りが全て敵だらけになって仕方なく「民営」では倒産と同じです。それでも「退職間近の人」は「私の在職中は」と頑張るでしょうが・・・
さて、相続制度なのですが、これ以上は主観の問題なのかな?とも思いますが、あえて書いておきます。「公平論には必ず限界があり、何処かで妥協せねばなりません。」はOKです。と言うか当たり前です。
しかし、その上で「自分の努力によらない部分の相続は基本的に廃止」でなければ岩住さんの論法上でも自己矛盾している筈です。「摂理1」には相応の対価の支払いがあります。これは被相続人に対する相続人への加点評価でしか評価不能とKは思います。つまり血縁という関係はこの際キッパリと切ってしまい。実際に老後の面倒を見た者の労働報酬と言う意味合いのモノにしようというのがKの意見です。(参考下記リンク)
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/1219.html
相続税を取られると思うから反発と不公平感が生まれるのです。
故人への貢献度の評価という形で「与えた方」が「与点制度」という制度にはピッタリするはずです。
さて、それらに目をつぶっても、最後に残る疑問は「養老年金」の集め方(徴収方式か?自由積み立てか?)とか、福祉財源と福祉実行団体(民間NPO)への疑問です。おそらくですが与点方式になれば普通の人には「余裕は無くなります」出来るとすれば平均与点というモノが生まれ人々が「30点の与点までは許される的」な思想が生まれた時です。
つまり、回りの人が全員与点0でしたら「恥を知る人」には労働意欲を生み出す制度としても、誰かが与点を(故意かは別にしても)受け出したら制度事態が崩壊の方向に進む可能性があると思います。多分この辺は次章において出てくるのでしょうが、既に説明されている監視の方式だけで充分と言うならば「監視(評価)者」は国民を一人一人厳密に行う時間と余裕が必要になるのです。
また、養老年金を使い切った人の福祉は「民間NPO」な訳ですが、この制度が執行された場合ほとんどの人には余裕は無くなると思いますが、誰がどのような財源を持ってそれをするのでしょうか?財源は基本的には国の負担でしょうが「その財源」は?も合わせての事になります。ギリギリまで切られた公務員には余裕はゼロです。
「公務員は基本的に削減」「福祉は民間」「財源は国民年金すら不払いを続けてる国民の余剰金の自主的積み立て」「政策責任は国家」と言うのが岩住さんの主張です。
しかも「相続は基本的に現行通り」では主観ではなく破綻だとおもわれませんか?
「与点制度」を実行するには「公平な審査者」が相当数必要です。福祉の増大には「財源」と「公務員的な作業者」が必要です。これは主観でなく摂理に近いのではないのでしょうか?
「公務員では効率が悪い」ので「無料奉仕のボランティア(NPO)にまかせる」と言うのは公務員への偏見ではないでしょうか?この制度には「公務員を除く人」は善意だと云う思想を感じます。除かれた方に納得出来る要素が無ければ偏見になります。
公務員は形式にうるさくもっと簡素に出来るはずと言う考えもあるでしょうが、最近郵便局を利用された方は「随分規則にうるさくなって来た」思われるはずです。民間で行われている最低限の形式で済ませていたのを民間的で言う一般な形式に民営を見越して高めたというのが実情のようです。つまり、民間の方が「形式にはうるさいのです」
一時が万事ではないでしょうが、公務員は形式ばっていると言うのも偏見でしょう。仕事の性質上一般的な商店と比べて「うるさい」のは当然なのです。
かなりきつい書き方になった気もしますが、方向性には一定の評価をしているつもりです。(Kに評価されても何にもなりませんが)
その上で「思考不十分」と指摘しているのです。素直にKのアドバイスを受け入れたならば少し進化した視点を持てるかもしれません。
視野が狭くなっていると指摘したはずです。主観を廃すのではなく様々な視点を受け入れなければいけない事もあるはずです。
何時になったら別HNが使用出来るのか?狼少年Kの「嘘」(引退宣言無視)は続いてます。申しわけありません。m(__)m