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(回答先: 転載させて頂きました。 投稿者 万事急須 日時 2004 年 7 月 10 日 08:56:00)
万事急須さん、ご意見有り難う御座います。
先ず、帰納法と演繹法について誤解がありますので訂正させて頂きます。此処では帰納法と演繹法の定義などは説明致しません。これらはインターネットで検索すれば専門家の書いた物が見られますが、定義を理解したつもりでも、現実にどう使うかについては永年の経験が必要です。
自然科学では普通帰納法と演繹法を組み合わせて使いますが、自然科学で沢山見られる「法則」は全て帰納法で導かれたもので、その理由は法則が正しいと証明することは不可能だからです。これらの法則をどうしても反証できない為、正しいのであろう、との結論に至るのです。そう取り決めた後、或る法則から出発して様々な結論に至るのには演繹法をつかいます。
ですから、私が摂理として掲げた5箇条は自然科学では法則と呼ばれるものに相当します。私が摂理という言葉を選んだのは生物に適応される法則だからです。従って貴方が、この摂理は間違っている、と思われたならば、貴方にとって出来る唯一の方法は反証を探し出して来る事なのです。
一例を挙げましょう。高校の理科の時間に万有引力を学んでいるとします。先生が万有引力の法則を説明し、それを使って惑星の運行を計算したとします。そこで貴方が「私は万有引力の法則は間違っていると思います。だからその後の計算も全部間違って居ると思います」と発言したとします。その時に先生が取る対応に二種類あります。
第一の場合は、「間違っていると思うのなら、その理由を説明し、証拠を挙げて下さい」と言ったならば、先生は貴方に帰納法をやれ、と要求した訳です。証拠を挙げなくては貴方の言い分は受け入れられません。ただ「思います」では駄目なのです。
第二の場合は、「この法則は偉い先生が正しいと言っているのだから間違っている筈が無い、お前は引っ込んでいろ」と言ったならば、その先生は自然科学の法則とは何かという事を全然理解していない証拠です。
そこで貴方が「惑星が太陽の回りを或る周期で回るのは神様の力に依るものだ、万有引力という様な何の原因で出るのか訳のわからない力では無い」と言ったとします。そして万有引力だけでなく、続々と出てくる新発見に、ありとあらゆる解らないものは全部神様のせいだと言ったとします。これは論理体系などくそ食らえの態度で、それで貴方自身は満足できても、他の人達も満足するでしょうか。だから、科学的論理体系は大多数の人達を納得させる為に開発されたのです。勿論、少数の人達はそれでも納得しないでしょう。でもその少数の人達の為に科学者が総動員で説得に当たるのが有益な事であると考えるかどうかは「常識」の判断となります。
次に、「生存競争」と言う言葉は日常語であるため、人に依って色々な狭義な解釈をされる怖れがあるにも関わらず、あえてこの言葉を最も拡大した解釈で使った理由は、新語を創出しても皆に理解して貰うのに永い期間がかかるだろう、と思ったからです。しかし「生存闘争」の方が誤解が少ないかも知れません。貴方は生存競争を日本社会での過当競争に結びつけたために、摂理1を曲解されたのだと思います。
此処で言う「生存競争」は生物が生きるためにやらざるを得ない全ての戦いの意味です。例えば、動物が子供を生んだとき、嬰児が先ず第一にやらねばならぬ事は呼吸を始めることです。嬰児は空気を求め、もがいて気道を空け口を開けて鳴きます。もしこの時、嬰児が産道に永くいた為に酸素欠乏に陥っていれば、体外に出てから、もがいて鳴く力も無くなります。この時、人間が介入して気道を空けてやれば助かりますが、これは人間が相応の代価を払って生きる戦いをたやすくしてやったからです。
この説明の後、ご自分の書いたことをもう一度読んでみてください。いかに「生存競争」を狭義に解釈していたかがお解りになるでしょう。どんな法則でも解釈は常に最大限広義で行います。そうでなければ法則になりません。
第二の論点は社会補償費に関するご意見ですが、論理の飛躍が随分あちこちに見られます。 貴方は第18章をお読みになったのですか。私が「社会についていけない人間がゴミ以下」と考えているのなら、莫大な思考力を費やして、共存共栄の出来る社会を作る条件は何か、と何年も考え続けたりはしません。ここの文章は私が日本とアメリカでエリート校に何カ所も行ったから、きっと嫌な奴だろう、という先入観を持って書かれたとしか思えません。議論をする際に徹底的に冷静な客観的姿勢を保てる様になるのは容易な事ではありませんが、学者でも何十年とかかります。それが出来無い学者がごまんと居ますから、貴方の文章にも別に驚きもしませんが、良くない書き方です。何が良くないか、もう一度自分の作文を読み返して考えて下さい。どうして論理が次から次へと飛躍したのかを考えるのは非常に勉強になります。