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(回答先: 帰納法と演繹法 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 11 日 10:38:07)
>ですから、私が摂理として掲げた5箇条は自然科学では法則と呼ばれるものに相当します。私が摂理という言葉を選んだのは生物に適応される法則だからです。従って貴方が、この摂理は間違っている、と思われたならば、貴方にとって出来る唯一の方法は反証を探し出して来る事なのです。
反証いたしましたつもりですが。
>此処で言う「生存競争」は生物が生きるためにやらざるを得ない全ての戦いの意味です。例えば、動物が子供を生んだとき、嬰児が先ず第一にやらねばならぬ事は呼吸を始めることです。嬰児は空気を求め、もがいて気道を空け口を開けて鳴きます。もしこの時、嬰児が産道に永くいた為に酸素欠乏に陥っていれば、体外に出てから、もがいて鳴く力も無くなります。この時、人間が介入して気道を空けてやれば助かりますが、これは人間が相応の代価を払って生きる戦いをたやすくしてやったからです。
この説明の後、ご自分の書いたことをもう一度読んでみてください。いかに「生存競争」を狭義に解釈していたかがお解りになるでしょう。どんな法則でも解釈は常に最大限広義で行います。そうでなければ法則になりません。
要するに「生存競争の定義がお前と俺とでは違う」という事ですね。でも生存競争という言葉を「最大限広義に解釈」して、新生児が胎道を通って生れてくるのも競争、としてしまうと、なんか生命活動そのものを生存競争と呼んでるような気がするので、なぜ「競争」と名付けられるのかに今度は疑問を持ちます。競争ってのは人と競ったり争ったりする事じゃないんですかね。
まあ摂理1ってのが「人間は生命活動をしなければ生きていけない」って言われるのなら、はいその通りですね、としか言いようがないですが。
>ここの文章は私が日本とアメリカでエリート校に何カ所も行ったから、きっと嫌な奴だろう、という先入観を持って書かれたとしか思えません。
残念、はずれです。
ただこれらの学校に行く事のできる人間と言うのは、実際に経済的に恵まれた環境で育っている事が多いのは事実ですし、また行った人間の多くが、どうして頭から電波をゆんゆん飛ばす「電波系人間」になっちゃうのかには非常に興味があります。
それにそもそも「与点制度」というのが論理の飛躍以外のどこから来たのか教えてください。
結局あなたの言われるような事を実行してしまうと、「競争階級」が「福祉階級」へ人間を叩き落し、さらにその「競争階級」の人間が堂々と理由付けを得て(笑)、福祉階級の人間を「あいつらは無能者で、俺らが養ってやってるんだ」と蔑むような(こっちの方の人間が蔑まれてしかるべきなのがわからない、というのならまたああハイそうですかとしか言いようがないですけど)イヤ〜な社会になるんじゃないですかねえ。それを「共存共栄するためにはしかたがない」と言われるならまたまたああハイハイと言うしかないですが。
だからこれって現在のアメリカ社会と同じことになるんじゃないかな、という訳です。あなたは実際に想像力を行使して、あなたの言われるような世界を実際に脳内でいいからシュミレートされてみましたか?
(まあきっと貴方は、みんな豊かになったからのんびり暮らそうと言っても、いや俺は働くと言われるような真面目なお方なんでしょうね)
共産主義だって論理的には全く正しい(と少なくとも思われていた)訳ですし、ではなぜ失敗したのか、というと、結局頭の中で考えた理論な訳で、実行した際に予想しなかった脆弱性が現れて(まさか労働者がやる気をなくすだろうなんて考えなかったわけですし)失敗したわけで、実際に脳内で考えて正しいとされた事はこういう結末を辿るものだと思いますよ。それよか現実に即して変えて行こうという方が、実際に多数の支持も得られるでしょうしいいんじゃないでしょうか。
日本人が帰納法よりも演繹法が好きなのはフランス人のせいじゃないかと勝手に考えております。アホなフランス人より賢いイギリス人に学びましょうよ。彼らは理想を追い求めるのではなくて、必ず現実に即した思考と行動をとるので非常に好きです。
余計な老婆心ながら、あなたの問題点を大学入試物理的に(笑)表現いたしますと、台車の上に振り子が載っている訳ですね。で、どうも台車に関しての運動方程式を完璧に解こうとしてなさる。そして振り子の存在を完全に無視しているわけです。俺は台車の進む方向が分かればいいと。そう考えれば、上に乗っかっている振り子と言うのは単なる邪魔者でしかない訳です。ただ、私が言いたいのは、振り子の運動が分からないと台車の運動も分からないよ、という事です。