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(回答先: 核家族から単家族への移行:「駆け引きによる利益」は享受できないが、「正直に暮らすという精神の平和」を手にする。 投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 7 月 02 日 21:24:54)
傍らで観る者さん、どうもです。
「単家族」だろうが「核家族」だろうか「大家族」だろうが、はたまた法的認証があろうがなかろうが、家族=社会の実体的基本単位であることは変わらないので問題はありません。
男女の関係も、相互の合意でよって、恒常的な場としての家族を形成するのか、限定的な場としての逢瀬を楽しむかを選択すればいいと思っています。
しかし、
>単家族こそ真の女性解放であり、男性解放である。頭の固いわが国のフェミニズムも、
>核家族こそ女性差別の温床であることを見抜き、早く単家族を理解してほしいもので
>ある。
「単家族こそ真の女性解放であり、男性解放である」は妄想です。
なぜなら、家族以外の関係性でも強い抑圧を受けているからです。
(家族関係は、外で受ける強い抑圧からの避難場所であったり、外のよそよそしい対立的な関係性ではない他者との濃密な関係を欲するという側面もあります。男性だったら、日常生活の面倒を見て欲しいという側面も強くあるはずです)
女性でも男性でもない人というのは実在しないたんなる概念でしかないのですから、広く受ける抑圧や強制は、女性抑圧や男性抑圧だと考えることができます。
法的公的に「単家族」なるものを制度化する意味はありません。(今でも「単家族」を選択することはできます。男性未婚者も増えているので、結婚を男性の甲斐性と考える風潮も薄らいでいきます)
それこそ、精神面で他者依存(好ましい人と密接に過ごせることで得るやすらぎなど)の人たちが精神崩壊しかねいものです。(それを通じて近代的自我が醸成されるとは思いますが(笑))
家族形態は、当人同士の選択の委ねればいいのであり、そこで起こる様々な軋轢は当人たちが落とし前を付ければいいのです。
公的に必要なのは、「単家族」だろうが「核家族」だろうか「大家族」だろうが、みんながそこそこ生きていける条件を築くことです。