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(回答先: 奇妙な要求はしないようにしましょう。 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 03 日 20:13:21)
小魚骨 さん今日は
>ある人に対して「あいつは人間じゃない」という判断が有効だとしたら、「人間とは
>誰か?」という問いも有効であるはずです。
まず最初に私自身の説明をさせていただきます。私の元のネームは「鼻曲がり」で
したが、ある日アラシに会いやむなく転覆してしまいました。鼻間がりはもういません。あとを継いだのが「縄文ビト」ということになります。これもいろいろないきさ
つがありますが。
他の方が書いたメールの中で一人の人(例えばあっしらさん)が二人の名前を使って
登場しているのではないかという書き込みがありましたので、二人分の名前で登場出
来るのではないかと安易に考えていました。しかしそれが無理だと判断できました。
名前を変えた時点で(鼻曲がり)は消えていたわけです。そこからアラシにあって転
覆したということで、後を継いだのが「縄文ビト」になったわけです。
前のことに戻りますが、宮台さんの文章を拝見しておりまして。そこには哲学的なも
のがないということを私自身の先入観で判断してしまいました。
小魚骨さんが
>ある人に対して「あいつは人間じゃない」という判断が有効だとしたら、「人間とは
>誰か?」という問いも有効であるはずです
と言っておりましたが、これは日常的会話であり。これは哲学とは無縁な問題ということになります。私が宮台さんに問いかけているのは哲学的な問題を出しているわけです。
後の私の文の中では「人間とは何か」「人間はいかに生きるべきか」これが哲学の問題だといったわけです。
当然認識論になるわけです。認識が時間・空間を自由に過去・現在・未来と行き来できない限り普遍的な回答は出てきません。人間とは何か?それはまさに普遍的な意味付けが出来なくてはなりません。残念ながら宮台さんの文章の中にはそれはないといっても
過言ではありません。
これからもまた政治性を抜きにした文を書き込みますのでよろしく御願いいたします。