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2000/12/31 さん、読んでいただけたこと感謝しております。
私はパソコンを前にしたのは昨日は6時まででしたので、本日読ませていただきまた。
ほとんど考えが同じだということでは最初にいただきました大晦日さんのメールは力強い友を得たようです。
なぜかといいますと。この議論版でも宗教家とおぼしき方々の説得力あるご意見を最近多く見かけておりましたので。相当な反論を覚悟して書いているわけです。そして最初からどのような反論がくるかということも私なりに予定しております。
弁証法的には私が書いたものは現在では私なりの本質部分ですが、一歩手前ではわたしも宗教家になりえる要素を持っているわけです。ただ私は真実に従いますが。
あまり面白くない書き込みで申し訳ありません。
またこれだけのことを書いた以上私も、 2000/12/31 さんも宗教家の人たちから猛烈な反論がきますよ、こなかったらおかしいと考えたほうが正しいと思っております。
ある意味では私の頭の中にあるのが、政教分離という観点からのS学会を意識しているからです。
政教分離という考え方では多くの方々がいろいろな見方をしておりますが、私のは大きな流れの中で捕らえていますので、それにあった反論を頂きたいです。
つまり今まで言われてきた政教分離では私への反論に対しては不備な面があるということです。
私のはなぜ政教分離が必要なのかということで。
1旧石器時代の親族社会から、新石器時代の後納社会に入る過程での採集植物の時代の 中で宗教が利用され、他者の労働が一部の者の手によって私有化された。そして後は 歴史を見れば一目瞭然、人の支配の道具として宗教は使われた。
2としては人間の死後「個別性」を持った存在者でありえるのかということ。
3は1の反省として人間が自由になるには政教分離が必要だということを力説している だけです。
私としてはここまで書いた以上、相当な論争になることを覚悟をしております、なぜならバチカンといえどもこのことを無視することはできないでしょうから。