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(回答先: Re: ある意味では私の意見と似ているかもしれません。 投稿者 真相ハンターK 日時 2004 年 5 月 08 日 18:25:46)
真相ハンターKさん レスいただきましてありがとうございます
また唯物論の解釈をいただき再度読んでみます。ただ失礼になるかと思いますが辞書自体の定義付けには最近満足をしていません。そこで私なりの定義付けをしているわけです。たとえば公平性ということに対しても辞書的には「片寄らず」とかの言葉で片付けているといえますので。
「そこから私なりの定義を「客観的比較…」という形にさせていただきました。
現在の民主的な方法としての公平さを求められるものとして裁判制度があります。これは裁判という場合において本人(主観)を排除し客観(検事・弁護士)的に討論させ最終的に裁判官の判断を得る。これは客観的比較の元満足できる状態」を得る現在なりの最善の方法だと感じております。
これが陪審員制を取った時、このやり方自体が裁判においてではなく、民衆の中に浸透することになれば、小さな問題に対しては身近な人たちが討論を通して、両者の争いに対し客観的な判断を下していく。それでかたが付かなかった場合のみ裁判と言うことになるのではないかと思いす。
陪審員制度、ある意味主権在民のあり方だと思いますが。
公平さも身近な陪審員的感覚が裁定を下すといえますが。
撤退などといわずにこれからも私なりの「人間はいかに生きるべきか」の書き込みに意見をいただければ、より客観的に、成熟された討論ができるのではないかと思っております。私も間違いだらけですので。