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(回答先: Re: ある意味では私の意見と似ているかもしれません。 投稿者 鼻曲がり 日時 2004 年 5 月 08 日 15:54:19)
鼻曲がりさん、どうもです。
まずはレスに感謝しておきます。
2つ思い違いがあるようなので指摘しておきます。
ひとつは私も唯物論を取っています。神という精神論的なものを否定し自然の生み出した物という実体(肉体)を第一に考えようというのが、唯物論と私は思っています。
参考
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/materialism.html
まあ、難しい話は置いておいても私は自分を「無神論者」と思っているので、どこに立脚点を求めるかと言えば「物理の法則」と「科学」になる訳です。
つまり・・・
>ただ私としては唯物論を取っておりますので。真相ハンターKさんとは意見がかみ合わ
>ないとこがあるかと思います。
と言うのはどこかに私への誤解があるか、鼻曲がりさんの唯物論に勘違いがあるかのどちらかになります。(と言っても、意見がかみ合わないことは無いとは言えませんので、念のため)
もう一つは平等の定義です。私には鼻曲がりさんが言ってるのは私と同じ意味に思えます。
>平等(公平)とは客観的比較のもと満足できる状態ということになります。
は私もそう思っています。だからこそ、私感を持って「これは公平では無い!」と叫ぶのは「悪」という意味の事を書いた訳です。そこを受け入れたならば争いの半分くらいは解消されるのかもしれません。
問題は「公平・平等」の個人の意識なのです。公平な客観的視点から見たものが、当人達に取っては不公平とされる事実なのです。仮に体重100キロの人と50キロの人がいて10キロの荷物運びをした時、おなじ個数を運んだとすると、おそらく、100キロの人は楽々こなします。50キロの人は精一杯です。おなじ個数を運んだのだから分け前は同じです。100キロの人は「俺の肉体を維持するには50キロの人の倍の食料が必要なのでこれは平等ではない」と感じ、50キロの人は「私は100キロの人より倍汗をかいた。私の方が一生懸命働いたのに分け前が同じで良いのか?」と思うかもしれないと言う事です。
客観的に公平は主観的に公平とは必ずしも言えないのです。で、(主観的)公平は存在しない。あくまで客観的公平を受け入れるしかないのです。「己の評価は己でしてはいけないのです。」でも、人間には欲があります。とすれば「公平」は無くなり、「公平」を叫ぶ事は「悪」になるのです。
確かに鼻曲がりさんと私の結論は違うかもしれません、しかし、立脚点は同じと私は考えています。ただ、文章では時間とか表現の仕方で、誤解されて解釈されるのです。この辺は私の表現力に問題があるのだと思います。でも、この一点を正確に誤解無く伝えるためには膨大な事例を提示して検証するという作業になり、結果として「これを読む時間は無い」として読まれない論文になるでしょう(笑)
そこで、極簡単な事例の提示で済まそうとして誤解されるのです。
つまり、智は争いの元になるだけで何も解決をもたらさないと・・・
まあ、そう言う事です。こちらこそ宜しくお願いします。
と書きながら阿修羅撤退を考え始めてますが・・・