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(回答先: ある意味では私の意見と似ているかもしれません。 投稿者 真相ハンターK 日時 2004 年 5 月 08 日 14:33:29)
真相ハンターK さん返信ありがとうございました。
いろいろとこれからも議論ができると楽しみにしております。以前真相ハンターK さんが書かれた幽体離脱を読みました。私なりの考えがありましたので次の機会にでも書き込みを入れさせていただきます。
今回は一番重要な問題だけを絞らせていただきます
>全ての「思想」と「宗教観」と「知恵」こそが悪である。あなたの目はそれらが善とか正義とかの思い込みがある。「公平を叫ぶ」のが最も悪である。
> 仕事をした時ヘラクレスのような肉体を持つ者と、女子のような者の二者がいた時、同じ量の仕事をするのが公平であろうか?
私はある文章の中で平等とは何かということを私なりに定義づけたことがあります。
平等とは「客観的比較のもと満足できる状態」ということになります。
AとBという二人の者がいて、Aが肉を食べたいといったとき、Aに肉を食べさせたとき、AとB両者を同じに扱うならBにも肉を食べさせるのが平等(公平)かということになりますとBが肉を嫌いな場合むしろ不公平になります。
そこでBにはBの好きな魚を食べてもらったとき、本来の公平さが出ます。だがここでも問題があります。Aが食べた肉が安い肉であり、Bが食べた魚が高級な刺身であったときAには不満が残ります。そこから本人たちの主観的判断ではなく客観敵判断が必要になるわけです。
つまり平等(公平)とは客観的比較のもと満足できる状態ということになります。
真相ハンターK さんがあげられた例は公平ではなかったのです。片一方の必要としている量(食べ物)と仕事は一致しなくてはなりません。そこから物の配分に対し客観的比較が必要になると考えるわけです。ただそこに両者が満足できる状態があればいいわけではないですか。
ただ私としては唯物論を取っておりますので。真相ハンターKさんとは意見がかみ合わないとこがあるかと思います。
これからもよろしくお願いいたします。