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(回答先: 民主主義国家は多数派の「ワガママ」が“国策”になる政治制度 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 26 日 03:00:16)
>あっしらさん、どうもです。
私的には、全く議論が咬み合っていない気がするのですが・・・
阿修羅きっての論客のあっしらさんなので私には判らない隠された意味があるのかもしれませんが、そうならば降参になるのかな?
基本的にこの議論は私が「責任論」には基本的に賛成ですが慎重に、と書いた事に端を発します。
それに対してあっしらさんは「(家族の)責任論を問う奴はカスだ」と応じました。
それに私が「カスである事は認めても良いです。しかし、起こっている事は事実として認め、そこを立脚点に新しい議論を」と意見を書きました。まあ、このときは私の思い違いで「ワガママ」についての付属する点がありますので、ある意味、議論のすれ違いも仕方が無い面もあります。
で、あっしらさんは「ともかく、責任論を言う奴はカスだ!」応じました。
で、私は「カスと言う意見には反論しません、ただ、実際カスが政治の流れを作るくらいいるのも事実ですので、そこを立脚点に新しい議論を」と応じました。全く違うとおっしゃるかもしれませんが、私はそのような姿勢で意見を書きました。
で、今回このスレッドが立ったのですが・・・私には
「何が何でも、責任論を述べる奴はカスだ!!」としか思えない文章です。
多分、権力機構に対しては個人は無力なのでどんな「わがまま」を唱えても、そこに、責任は生じない、そこを理解出来ない奴は「カス」なので、もう一度あっしらさんの文章を読み直しなさい、それまでは相手をしません。と言う意味かな?とも思います。
となれば、論破するしか方法が残されていない事になりますが・・・
私は家族の責任論については終わったと思っています。家族が謝って態度を改めた時点で全てはチャラです。家族が謝った事が正しいか間違いかはともかく、これ以上の責任追及をする人は人間性に問題があります。そして、それは終わった事なのでこれ以上、議論しても仕方のない事だと思っています。
しかし、あっしらさんは、そこを逃がさないようにしているようです。
あっしらさんは民主主義を、多数派のワガママが”国策”になる制度と言います。たしかにそうです。それが判っているならば「多数派工作」を考えるべきです。
しかし「政治家で無いので、その必要が無いし、たとえ一人だけの主張でもまったく気にしない」と書かれています。
普通、この手の掲示板は、議論をする事によって真理に近づく事を目的にしています。
たとえ少数派でも「正論」なら、それで良い。は確かに正しい考え方です。しかし、現実では、少数派は負けです。例えば、AとBの二人が議論をして互いに歩み寄りが無く、最終局面でも、もの別れに終わったとして、周りの人で聞いていた人の全員が「Aの意見が正しい」と言ったとすれば、Bの意見は誰がどう見ても間違いだったとの事にするしかありません、神の視点から見ればBが正しいとしてもです。物理の世界などでは科学の発達によって逆転もあるかもしれませんが(地動説の実例もあります)、哲学などの思想世界ではほぼ絶対に逆転は無いはずです。
つまり、たとえ一人になっても正論を唱え続けるという主張は、議論を無駄とする事であり、議論の場を否定する事です。それは、阿修羅というHPの存在意義を認めないと言うのと同意です。あっしらさんはこの場(阿修羅)を否定するのですか?
また、場合によっては、中立的立場で見ていた周りの人から支持されない意見が、意見として(相手に)勝った意見となると思っていますか?
私はどんな正論であろうとも、大多数の人に支持されない意見は意味が無いと思っています。ただ、意見自体には価値がある可能性はあります。多数派に受け入れられ無い意見は受け容れられる様に若干の修正をしてでも受けられる様にした方が価値があると言う事です。
議論の大切さは、かたくなに自分の主義主張を叫ぶのではなく、相手の意見の価値ある所は受け入れ、自分の主張の修正すべき事は修正する事です。阿修羅のHPとはそのような場ではないでしょうか?
さて、最後にいくつか質問をさせて頂きます。
あっしらさんは、国民が多数決で選んだ政権与党が極悪な政党だったとして
1 その政党が極悪という事実に気が付かないで、その党に投票した人
2 選挙に感心が無く投票に行かなかった人
3 その政党が極悪である事を知っていたのにもかかわらず、ほとんどその事を他の人に教えないで、自分の支持する政党に投票した人
の責任の比率をどう思うでしょうか?
上記のどこにも責任は無く、悪いのは極悪な政党だけと言う意見ですか?
国家主義思想(右翼)の家庭に生まれた子供が家庭に反発して左翼過激派になり、罪のない警官を殺害しました。一番の責任者は?
1 その子を育てた家族(親)
2 殺人を起こした子供
3 殺されるような弱い警官
全ての責任は政府にあり、上記のどこにも責任は無いとの意見でしょうか?
つまらないですか?そうです。観念論、感情論のみの議論はつまらないのです。現実の分析をしてそこを立脚点にして、悲劇や間違いを修正するという改革の視点からの議論でないと意味もなく、価値も無いのです。哲学者が一人で悟った真理では自己満足にしかならず、全く価値も無いのです。