現在地 HOME > 掲示板 > 議論17 > 1035.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
折角のKの意見が元の書き込みの煽りを受けて消えてしまったぁ〜!!(TT)
ということで新たにスレッドを立てる訳です。
一般常識としては「臆病者」は卑しい事であるようである。
「男らしい」とか「勇敢な漢」とか「革命戦士」とか言う事は優れた資質と思われている様である。それはある意味では正しい(と思われる)
しかし、暴力はすでに社会的には否定されている(唯一許されるのは、国土保持、国民保護、治安維持等の国権の発動時だけである。それすらも憲法的にはあやしいとも言える)
しかし、右翼系の人はともかくとして、左翼系の人でも「命を惜しむ人」を忌み嫌う傾向にある。基本的には、右翼=国体重視、左翼=思想重視であるが、平和を望むと言う方向では同じである。それぞれが重視するモノの方向が違う訳だが共通事項として「(守るべきモノのためには)命を惜しむ事は恥ずかしい事だ」という意識がある。
右翼の人は「お国の為には命を惜しむな!」と言い、左翼の人は「国家の独走や戦争を止める為には命を惜しむな」と教える。宗教では「聖戦の為には進んでその身を捧げよ」と教え、大抵の思想団体、宗教団体が自己保身を卑しい事にしている
しかし、教義では「自分を大切に」としている場合も多い、全ては過去の思想闘争、宗教闘争の中で体制もしくは反体制が「体制を維持するために植え付けてきた観念」である。「臆病者」は決して恥ずかしい行為ではないと思うべきである。
少なくとも他人のそれを非難すべきではない。自分の中で「自分は臆病者だ!」と反省するのは構わない(ただ、その時でも、何に対して恥ずかしいのかは考慮すべきです)。しかし、他人に「臆病者」のレッテルを貼る事によって自分の意を通す方法論として使用するならば、それは「卑怯者」であり最低の卑しい行為と言えるだろう。
臆病者にも色々とあるが、自分の命を大事にするのは正しい事である。戦う事によって相手の命を奪う結果になる事を恐れるのも正しい事である。ならば、臆病者のどこが恥ずべき事なのか?少なくとも「勝算の無い無謀な行為をする者」や「無駄に命を浪費させて自分の盾とする者」よりは正しい者と言えると思う。
イラクに行く人は立派とも思える。しかし「無批判に送り出す」のは疑問である。自分の子供にさせる事態を考慮して無批判で賛成できない行為ならば、それを他人に任せようとすべきではないと思う。それをするのは最大限の「卑怯者」とも言える
ならば、自分が行くのならば良いのか?と言う事にもなるが「自分の子供」を送り出す「自分」と「自分」を送り出す「自分を愛する者」を想像してみてほしい、その上で判断すべきである。
送り出すならば常に最悪の事態を考慮して、送り出した者の責任を考えなければいけない。「個人では無理、どんな責任も取れない」と考えるのならば、政府に任せるしかないだろう。
本当に国際貢献になっているのか?の疑問を忘れないようにしながら・・・