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先日の議論もしくは意見の応酬に関わり、根源的に追及されるべきことの焦点がずれているように感てじます。
もちろん、ズレを承知で個別的問題の解決のために、「特殊」な論法で解決を図った方のご意図も理解しているつもりです。
私がとった微妙な反照的補強も見抜いて頂いていると思っています。
それでも、なお問題となったものは、実のところ一般性と思われていることをも越え、もっと根源的なものだと感じるのです。
そこに回帰しないと、プラスの成果がもたらされそうもなく、それが何かを表現してみようと試しに書いてみました。
穴だらけの全く粗末な試論でしかありませんが、敷石にでも踏み石にでも、あるいは叩き台にでもなれば幸いです。
もしかすると使う用語を変えたほうがすっきするのかもしれません。
だいたいきちんとした哲学、論理学をやったこともないので、おかしい事は多いと思います、しかし、この考えに
構造性(この場合厳密な意味ではなく暗喩的)とでもいうべきものがあり、
その「構造の成立と共有のための規則が護られる事が必要なんだ」と言っていると思っていただけると
当たりかなと思っています。
SEの方で哲学的言説にも長けている方が、うまく表現してくれないものだろうかと思っております。
断章的にまとめました。
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*共有可能な「利」である「理」を、共同/協働で追求する事について
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複数の個人間で共有可能な「利」である「理」を、共同/協働で追求する為の基盤として、
互換性のある“議論のoperation system”を、参加者間で相互に確立させる意志と姿勢が必要である。
“議論のoperation system”とは、議論参加者のイデオロギー、趣向性等に関わらず(互換性があるということ)
「理」を追求する為に、個々の“接続”する議論ネットワークにおいて、
協働で成立させねばならない原理であり、ごく簡潔なあり方に収束する。
* ……… (※この部分にオキテが入る・ただし未記入)
これを乱し破壊すれば、イデオロギー、趣向性の差異ある中で、なお求めようとする「理」を
共同/協働で追求することは出来なくなる。
イデオロギー、趣向性によって、ある命題に反対か賛成かの結論は違えども、その命題に
たどり着く事と、その差異の筋を認識することで、それぞれの「理」の様相を明らかにする事ができる。
これは差異の有無と様相を互いに明確に認識するための方法であり、差異を無くす価値判断はない。
差異をイデオロギーや趣向性に従って無くそうとする意志がある場合は、この「理」の追及の
段階以後にやることが可能である。
どちらにしても、
協働で成立させねばならない原理であり、ごく簡潔なあり方に収束するもの(オキテ・ルール)を
複数の個人間で共有可能な「利」である「理」を、共同/協働で追求する為の基盤として、
“議論のoperation system”という形を確立させる意志と姿勢が必要である。
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* ……… (※この部分にオキテが入る) ←この部分に入れるものが何かを認識し、共有する事が
必要なのだと思います。
重要なのは、議論板は個々人が区切り取ったURLの枠内を、落書き帳のように扱って、議論の筋の中に
放り入れて成り立つ場ではないという事です。
この問題は、日本人の国家観、社会観の特性と絡んだ「日本人の弱点」を、顕著に見ることの出来る
「断面」だと考えています。
袋の中で混乱しながらシャウトしあっていることが議論だと勘違いしたまま(させられたまま)
いいように操作されているのでしょう。
「利」である「理」を探り取る議論能力を、強度に発達させた国や勢力からは、簡単に災厄にも悲惨にも
誘導可能な人間たちと国なのでしょう。
そこを抜け出そうよ。
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忙しくてあまり関われません。
全く「素材」か「たたき台」として提出したきりになるかもしれませんが、明らかな間違いのときはさっさと
間違いとして終わりにしたいと思っております…。