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(回答先: [試論でしかないですが]*共有可能な「利」である「理」を、共同/協働で追求する事について 投稿者 鈴を贈るねずみ 日時 2004 年 5 月 22 日 19:26:49)
昼休み板に乃依さんがご投稿をなさっているので、これを反照的あるいは反論的な論考として
自分の為の参考にさせて頂いています。
『近代科学について <近代の超克>論 廣松渉 より』 (昼休み3)
私は厳密な哲学的論考を重ねる力は持ちません。総合的な直観から出発し、
後でそれを表現もしくは論証してゆこうとするタイプです。
近代を超克しようとする人間が、結局は近代の基礎とした自己認識方法や操作方法をとるのは誤りだと考えるなら―
私の持つイメージは、合気道などにある「相手を傷つけずに相手の力を活かして相手の攻撃を覆してゆく」
という姿勢です。
また、これは、相対し敵対しているものの、実は「場」を共有した協働の運動性(機というべきかも知れません)に
乗じたものでもあります。
近代の基礎とした自己認識方法や操作方法を技術/artとして使いながら、その基幹的な原理は、
身体をもつ生物である人間の、地球における「場」の生成を活用してゆくということです。
これはイデオロギー等と関係ありません。
どこまで進んでいるかは解りませんが、日本の研究者でこれを進めている方は居ますし、中沢新一さんの
最近の活動はこの考えかたと類似しているものを持っているのではないかなと感じています。
どちらにしても技術/art部分が身についておらずに展開出来る事ではないと感じます。
最終的にはこの技術/artがあまり必要の無い段階に至るのかもしれません。