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(回答先: 自由主義の支えである「人権」「平等」「民主」を禍毒と呼ぶ「真正自由主義」というのは狂信者だね。 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 10 日 22:10:41)
こんにちは。
まずお読みになってみればいかがかと思いますが、概略をご説明します。
分かれ目は、それらの中の「自由」が、概念的であったか、アプリオリな物であったのか、ということ
のようです。
中川氏は、コンサバティズム・リベラリズム・ファシズムという3項対立を用いています。
コンサバ リベラル ファシ
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/806.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 10 日 12:46:33:
コンサバティズムとは、「ネオ・コンサバティズム」ともまた違うもののようです。
「人権」「平等」「民主」がなかったころから、 人・生物という存在は、アプリオリに存在し、自由を享受していた。
存在(人・生物)は、ただ単に存在していて、それを自由と呼ぶ。
「人権」「平等」「民主」がなかったころから、
人・生物という存在は、アプリオリに存在し、
人々もその他の生物たちも自由を享受した。
万人の万人に対する闘争の世界(Dog eats dog world)の世界であったとも思えない。
「私もあなたに大切にされたいし、あなたも私に大切にされたいでしょ。」
という概念を、少なくとも人類は、最初から持っていただろうからだ。
とうのが、コンサバティズム、真正自由主義の考え方です。
・参照
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/index.html
私もあなたに大切にされたいし、あなたも私に大切にされたいでしょ。 - 乃依 2004/6/10 05:54:22 (0)
あと、プラトンももちろんX(ばってん)です。 - 乃依 2004/6/10 04:41:04 (0)
存在は、主体的に運命を選び取ることができる、デカルト的決定論に反駁するというのがあの本 - 乃依 2004/6/10 04:37:39 (0)
あと、実存という言葉もサルトルとかとは関係なくて、心理学用語からきたものです。 - 乃依 2004/6/10 04:26:06 (0)
自由とは、必然である。 - 乃依 2004/6/10 04:20:55 (0)
※議論をお望みでしたら、是非、移動しましょう。
長引きそうですから。