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奥山真司 著 「地政学」 --- 地政学が分からないと国際戦略が分からない
2004年1月31日 土曜日
◆(キッシンジャーの「デタント」)
ヘンリー・キッシンジャーは日本で「キッシンジャー博士」という愛称で親しまれて(?)おり、一九二三年ドイツ生まれで現在八○歳を超えた、元ハーヴァード大学の政治学博士である。一九三〇年代にドイツよりナチスの迫害から逃れてきたという、典型的なユダヤ系移民の知識人で、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍のドイツ語通訳の情報将校として活躍し、それからハーヴァード大学に入ってあまりの秀才さから学生時代に、のちに共和党の副大統領になるネルソン・ロックフェラーに引き抜かれた。アイゼンハウアー、ケネディ、そしてリンドン・ジョンソン政権下で外交官僚を務めるかたわらに『核兵器と外交政策』(一九五七年)という本でアメリカ外交・核戦略について鮮やかに語ったことが注目され、外交政策における知識人としての地位を確立した。
彼が二年という超短期問で終えたハーヴァードの博士号のコースで、その卒業論文として選んだ題材はオーストリアの軍略家メッテルニッヒの勢力均衡(バランス・オブ・パワー)政策についてである。これはのちに本となって出版されたのだが、現在でもハーヴァードではその完成度と、論文の異常な長さで「伝説の博士論文」である。「人類の歴史は階級闘争の歴史である」といったのはマルクスだったが、初期の著作からみて取れるキッシンジャーの意見では、人類の歴史というのは常に革新勢力と保守派の闘争だ、ということであった。
なぜ彼が地政学で重要になってくるのかというと、大きく分ければふたつの理由がある。まずその第一の理由は、彼が当時、ふたつの肩書を持っていたことである。影で政権を練る「知識人/学者」という立場と、表に立って実際に政策を実行する国務長官、もしくは安全保障アドバイザーという「政治官僚」の、ふたつの顔である。政治官僚としても影響力が大きく、ある時期(七三-七五年)においては国務長官と国家安全保障アドバイザーという重要な役職を同時にふたつも受け持ち、しかも二人の大統領の任期を通じて国務長官をやるという前代未聞のことをやってのけていた。今のブッシュ政権でたとえると、コンドリーザライス大統領補佐官とコリン・パウエル国務長官の仕事を、一人で兼任してこなしていたのである。もちろん外交に関しては上司であるニクソン大統領よりも大きな影響力をもっていたわけで、得意の秘密外交と、忙しく往復する「シャトル外交」を行ってベトナム戦争を終結させた功績から、七三年にはノーベル平和賞をもらっている。
彼が地政学で重要なもうひとつの理由は、彼の「地政学」という言葉の、あやふやな使い方である。この当時、メディアのインタビューに答えるときに、キッシンジャーはゲオポリティクスという言葉を連発してアメリカの知識人階級を煙に巻いたのであるが、これは意外な効果を生み出した。「地政学」という言葉の復活である。ナチスから逃れてきたユダヤ系の元ドイツ人であるキッシンジャーが、しかもナチスの得意としていた「地政学」という言葉を使ったために、「なんだ、ナチスの被害者であるユダヤ人のキッシンジャーが使うんだったら俺たちが使ってもいいんだな」ということになり、第二次世界大戦後にあった地政学の言葉のタブーが解けたのである。
他の地政学人物と同じく、キッシンジャー自身も地政学が一体何であるのかをハッキリと答えていないのだが、一度だけ「大国間で〃バランス・オブ・パワー"を形作るときに重要となって、 くる要素という意味で使っている」ということを発言したことがある。ただキッシンジャーは秘密が好きなので、このような回りくどい言い方をしてごまかしているようにもとれる。
まずニクソン政権下でベトナム戦争を終結させたキッシンジャーは「MAD」という、いわゆる「核の脅威の相互理解による破壊抑止力」をことさら強調してソ連との外交に臨んだ。ようするに「俺たちは行き着くところまで来てしまったのだからしようがない。どちらかが戦争をしかけたら最後、お互いの報復攻撃で滅びてしまうのだから、この危険性をまず認識して、とりあえず冷戦の緊張を少し解こうぜ」とソ連側に持ち掛けたのである。これも「バランス・オブ・パワー」の理論であるが、特に核兵器のにらみ合いのバランスによって均衡状態(=平和)をつくるという、冷戦後に新しく出てきた理論の実践であった。
これはまさに国際関係論でいうところの「リアリスト(現実主義者)」の立場であり、「バランス・オブ・パワー」の理論そのままである。それも当然、キッシンジャーは前述したとおり、国際関係論の分野でもそこそこ有名な外交論文を書いており、白らも「私はリアリスト(現実主義者)だ」といってはばからないくらいである。よって、当然のごとく「平和を達成するには力と力のバランスをとればいいのだ」という結論になり、実際の外交にもヨーロッパの列強が「バランス・オブ・パワー」を実践していた一九世紀の当時に盛んだった秘密外交を実践している。
ところがキッシンジャーはあまりにも秘密外交をやりすぎたおかげで、近年公開されてきた外交文書からその危ない秘密がどんどんばれてきた。東ティモールやカンボジァ、チリなどの暗殺やクーデターなどに関わっていたとして「戦争犯罪人として裁け!」という非難が国際社会の中で高まり、つい最近もフランスの裁判所に戦争犯罪の重要参考人として呼ばれたほどである。このきっかけとなったのは、イギリス出身のジャーナリスト、クリストファー・ヒッチンスによって書かれた『アメリカの陰謀とキッシンジャー』という本であり、しかもこれはイギリスの国営放送であるBBCによって同名のドキュメンタリi映画にもなった。
キッシンジャーは七〇年代末には政治の表舞台から一応離れている。その後は「キッシンジャー・アソシエイツ」というコンサルタント会社を設立して、その国際的なコネクションを使って縦横無尽に活躍するビジネスマンとなった。ビジネスマンとしてのキッシンジャーの特徴はあらゆる国際企業の顧問に名を連ね、穀物メジャー、化粧品会社、パイプライン企業、巨大メディア、大手シンクタンクや研究所など、とにかく守備範囲が広いのである。大学時代からお世話になっていたロックフェラー家だけでなく、欧州ロスチャイルド系などのありとあらゆる上級階級と密接なつながりがあり、イギリス王室とも関係が深い。サッチャー元首相と仲が良く、エリザベス女王から男爵の称号を授かっているくらいなのでキツシンジャーはイギリスのスパイではないかというウワサもあったほどだ。
日本では毎年、テレビ東京系の日高義樹氏の主宰する番組で「今年の一〇の予想」などをしているが、あまりに予測が正確なので、「今年の一〇の"予定"なのでは?」と陰口を言われているほどである。日本ではこの番組のキッシンジャーのコメントが好評なので、徳問書店から日高氏がキッシンジャーにインタビューをする形で『キッシンジャー一〇の予言』という本が〇二年三月出版された。アメリカではABC,NBC,CNNなどのコンサルタントとしてコメンテーターを務め、LAタイムズには定期的にコラムを書いている。基本的にとても「出たがり」で あり、メディアに「ドクター」と呼ばせるようにしたのも、このような虚栄心からだとよくいわれる。
キッシンジャーが冷戦時代に推し進めた、フランス語で「緊張緩和」を意味する「デタント」と呼ばれる戦略は、表向きは確かに冷戦緊張緩和政策だったのかもしれないが、実はものすごい策略が秘められていた。どうやらキッシンジャーの本当の狙いは、当時の共産党のもう一方の雄、共産中国を懐柔させてアメリカ側に近づけることにより、ソ連と中国との共産圏の連帯を突き崩して孤立させようということだった。
キッシンジャーの見方からすれば、一枚岩のように見えるソ連と中国の共産主義の間には大きな亀裂があり、この亀裂を利用してぶつけさせ仲たがいさせておけば、アメリカに対してまとまって歯向かってこないだろう、ということだった。「停戦だ、平和だ」といいながら、実は裏ではローマ帝国の植民地管理戦略である「分割して統治せよ」を忠実に実行し、確実にソ連を追い詰め、最終的には崩壊させることを企んでいたのだ。デタントは単なるその過程にいたる「前振り」だったにすぎない。
アメリカでこういう地政学的プログラムが進んでいたことを知らなかった日本は舞い上がってしまい、「じゃあ俺たちも中国と手を結んでもいいのかな?」と勘違いして、ご主人さまであるアメリカの承認なしに七二年に中国との国交正常化を勝手に行ってしまった。その中心人物となったのはもちろん、あの田中角栄である。
ところがアメリカにとって極東の重要な従属国である日本が、勝手に中国と外交政策を進めることは許せないことだった。しかも日本が手を結んだ中国は、当時はまだアメリカの敵と考えられていた共産主義の国であり、その上、中国と日本は、ハートランドを囲むリムランドに位置している。アメリカの地政学者ニコラス・スパイクマンが主張したとおり、アメリカは「リムランド」(ユーラシア大陸の周辺沿岸地域70ぺージ図7)にある国同士を仲良くさせないような方針をとっているのである。キッシンジャーがニクソンのもとでアメリカ、ソ運、中国、西欧、日本の五カ国(五地域)で「バランス・オブ・パワー」を狙っていたことからも分かるとおり、アメリカからすれば日本と中国が勝手に友好関係を回復するのは「抜け駆け」でしかなかった。しかもアメリカは日本を保護している立場なのである。
どのような時代でも帝国に抵抗したものはっぶされるのが常である。つまりアメリカ発のロツキード事件をきっかけに、田中角栄はナチスの地理学者であったバンゼが説いたような「スキャンダルによる切り崩し」によって追い詰められて失脚させられたのだ。このとき、日本でもアメリカの「角栄つぶし」に、意識的、もしくは無意識的に「手先」となって大活躍した知識人やジャーナリストが、現在でも現役で活躍している。誰だったかはここであえて述べる必要はないのだが、興味のある方は、当時のロッキード事件の新聞や雑誌から、一体誰が「角栄つぶしの急先鋒」であったのかを調べてみてほしい。意外な「売国奴」の姿が浮かび上がってくるはずである。
このような「アメリカ発」のスキャンダルによる政治家の失脚というのは何も日本だけに限ったことではなく、ほかにもリムランドの地域に位置する国々で起こってきたし、現在でも起こっていることなのである。(P118−P123)
奥山真司氏の「地政学」のホームページ
(私のコメント)
青色発光ダイオードを開発した中村修二教授が話題になっていますが、このほかにもフラッシュメモリーを開発した舛岡富士雄教授など科学部門では世界的な評価を受けている学者がたくさんいるにもかかわらず、人文科学では全く評価を受ける学者が出てこないのはなぜだろう。おそらく戦後の社会体制が人文科学を発達させない何らかの原因があるのだろう。その一つに戦後において「地政学」が抹殺されてしまったことが原因であると見ています。
さらには大東亜戦争における日本の敗北によるショック状態から立ち直ることが出来ず、いたずらに反戦平和主義を唱えることが日本の政治を語る上で拘束されて、自由な研究が出来る状況ではなかったことが、日本の人文科学の停滞の原因になっている。もっと具体的に言うならば日本の政治体制が外交と防衛をアメリカに丸投げした状態では、国際関係論などを論じても意味はない。
私は何度か「大東亜戦争は軍事的には完敗したが、植民地解放戦争として、人種差別撤廃戦争として完勝した」と過激な論文を書きましたが、このような見方は戦後間もなくGHQの一員として来日したヘレン・ミアーズ女子が本に書いている。しかしながら米軍占領統治に有害であると指定されて日本では発禁処分になった。このような状況は出版業界の見えない自主規制で言論統制は続いている。
日本からは「世界をいかに支配するか」などという発想で、国際政治を考える学者などいないだろう。21世紀は日本の世紀であり、世界を支配できるのは日本だけだと考える学者がいないのはなぜか。しかし、これは全く荒唐無稽の話ではない。経済力と潜在的な軍事力と地政学的な有利な条件を生かしていけば、日本こそ世界の覇者になれる可能性はあるのだ。戦前にはこのような考えを持つ思想があったが、戦後は軍国主義の名のもとで抹殺されてしまった。
このように日本には様々なタブーに制約されて、地政学やその他の国際政治戦略を論じた本は出てこないし、この部門の学者はいない。キッシンジャーやブレジンスキーに対抗できる国際政治戦略を研究する学者は日本にいるはずもなく、これからも望み薄だ。なぜならば世界的な大論文を発表したとしても、それを実現しようなどと言う政治家が現れることはない。戦前においては北一輝の「日本改造法案大綱」などがあり、当時の青年将校たちに読まれた。
あいにく二二六事件の失敗により、思想的な混乱状態となり軍部が実権を握り、戦略なきままに日本は突き進んで敗北してしまった。まさに戦前においても地政学は研究されて、アメリカと戦争をしても勝てないと結果が出ていたにもかかわらず、アメリカの罠にはまり抜け出せなくなってしまった。キッシンジャーのような戦略家がいなかった為だ。