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(回答先: まだまだ質問 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 3 月 08 日 09:07:22)
ぷち熟女さん、レスありがとうございます。
>あっしら様は『今回のテーマは性的関係性の重要性だと思っています』と書かれていますが
>またもう少しそれを噛み砕いて説明していただけますか。
他者関係性のなかで多くの人の胸をときめかせる対象である異性関係における性的関係(セックス)の軽重が今回の雑談のテーマだと思っています。
『寝たい』だけも性的関係ですが、それは、限定的な異性関係で、今回のテーマのメインではないと思っています。
性的関係も包含する全人的な関係を異性(生物的意味に限定せず)関係(パートナーシップ)だとすれば、『寝たい』だけの性的関係は、全人的なものではなく、性的興味で動かされる関係性です。
ぷち熟女さん:「『寝ることも含めてともに過ごしたい』ある異性は、
だからこそ『交際してみたい』に直結するのが自然だろう、というところまでは分かりますが
それがイコール『一緒に生きていきたい』になるかどうかまでは分からないでしょ、と思います。
そこが引き続き、どうにも納得出来ないところです。」
『一緒に生きていきたい』という全人的な異性関係に至る過程は様々だと思います。
かたちができてから関係性の内実が醸成される見合い結婚や強制結婚も、そこに至る契機だと思っています。
恋愛や同棲という関係性では、法的ないし社会的な形式である結婚でなくとも全人的な異性関係性が作り上げられることもあり、そこから結婚という形式性がプラスされることもあります。
『寝たい』と思って口説き交際が始まり、『寝ることも含めてともに過ごしたい』相手になることもあれば、寝てしまってしばらく付き合ったらイヤになる相手もいるでしょう。
『寝ることも含めてともに過ごしたい』という思いが高じることで、『一緒に生きていきたい』という思いになると思っています。
今回のテーマは、どういう経緯でそこに至ったかは別として、『一緒に生きていきたい』という思いを抱いている相手の“不実”とは何かということだと受け止めています。
ぷち熟女さん:「【>何らかの事情で、そこまで至らずに、その異性への思いが重要さを失うこともあるかも知れないでしょ。
「愛する人がそこまでの思いを相手(誰か)に抱くようになったら」というのは、そこまで至ったということです。】
そうなのかなー。ちょっと強引に聞こえるなあ。」
セックスがなくても、全人的な関係性への渇望は起きると思っています。
(逆に言えば、セックスがあっても、全人的な関係性への渇望が起きるわけではありません。もちろん、セックスを通じて全人的な関係性への渇望が起きることもあります)
濃密な関係性の表現形態であるセックスの重要性を軽く考えているわけではありませんが、セックスがないままで、その異性への思いが重要さを失ったとしたら、ピークでもたいした思いではなかったのでしょう。
それは、私が言う“更迭の条件”ではありません。
ぷち熟女さん:「『その判断基準は、その相手とのセックスの有無ではありません。身体的性関係があろうがなかろうが同じなのです。
そして、「愛する人がそこまでの思いを相手(誰か)に抱くようになった」かどうかは、きちんと判断できる自信があります。』
『逆に、誰かとセックスしたとしても、それが性的好奇心ないし性的魅力で踏み切ったことなのかどうかは判断できる自信があるので、そうであるのなら“お終い”にはつながりません。』
じゃあ、判断基準の例を、単純なもので良いから挙げて下さいよ。
どうせ説明して下さるなら、そこまでお願いします(笑)。」
それは、私と向かい合う愛する人が私に与える印象につきます。
愛する人にとっての私の存在意義が変わったという認識が判断基準です。
「愛する人がそこまでの思いを相手(誰か)に抱くようになった」かどうかは、態度・雰囲気・匂いでわかるということです。
ぷち熟女さん:「【>あっしら様のパートナーが、『性的ときめきを持たない関係性でも
>死に際して思い起こすような関係性ならやはり嫌』と思うような方なら、
>それもアウトになりますよ。
死に際にどれほどの意味があるのかということになりますが、パートナーがそう思う人だと判断すれば、それを悟られないように思い起こすだけです(笑)】
他の誰かとセックスすることがイヤだと思うパートナーなら、それも悟られないようにするだけです。】
なーんだ。単にバレなきゃいいんだ、という・・・。
じゃあ、あっしら様も、ご自分が気付くレベルに到達しなければ、
相手が何をして、相手に何があってもいいのだ、ということなんですね。
最新のレスの最後の方にも書かれていたけど。
じゃ、ご自分が性的ときめきを他の異性に対して抱いたときに、
パートナーの方にバレなくても後ろめたさを感じられるようなのは何故ですか。」
「バレなきゃいいんだ、という」話ではなく、バレないようにしているだけです。
ですから、バレたとしても、ドジったと思っても、後ろめたさや悪いことをしたとは思いません。それで、相手から“アウト”を食らうならそれも仕方がないことだとあきらめます。
性的ときめきを他の異性に対して抱いたときに後ろめたさを感じるのは、現在の異性関係の相手に対する思いが希薄になったことに対するものだと思っています。
寝たいという欲求(性的好奇心)で誰かとセックスしても、現在の異性関係の相手に対する思いが希薄になるようなことはありませんから、後ろめたさは感じません。
ぷち熟女さん:「【>こちらも、あっしら様の『相手に愉快でない思いをさせるという意味と受け取って』は、あたくしの意図したところとは違います。
>正確には『相手が愉快でない様子を見ると、結局本人も愉快でなくなる』といったところです。
「結局本人も愉快でなくなる」の本人は、『夫』ですか、それとも、ぷち熟女さんですか?】
『夫』です。」
したくてした結果が不愉快な目にあうことになったとしても、それは自業自得です。
得た快楽と不愉快のバランスの問題です。不愉快から得るものもあるはずです。
ひとが絡む問題では、そのような憂き目にあうのは避けられないと思っています。
それを承知の上で、行動の選択をすればいいのではないでしょうか。
ぷち熟女さん:「【あっしら:『(ちょっとズレた変な話ですが、ことさらセックスをしたいとは思わない相手でも、請われたら一所懸命にセックスをするというのはどうなんでしょうか? 何人かとはそういう経験があります。その時間を相手にとっていい思い出にしてもらえればと思っています)』
奇妙な質問を投げかけたのは、パートナーが他の誰かとセックスをするのが不実かどうかにも関わると思ったからです。
ぷち熟女さんのパートナーがそのような経緯で誰かとセックスしたときに、ぷち熟女さんがどう判断されるのでしょう?』】
嫌です。更迭です。
不実か否かという問題を通り越し、げっそりする、という感じを持つと思います。
余計に、もうアタシには触れないで、と思っちゃいそう。
あっしら様には、まったく逆の感じ方で理解不能だと思いますが、
相手がそういった、まるで『何となく』とでもいった軽い感覚でそういった行動に及んだと知るより、
相手がその誰かに本当に惹かれていてそうしたのだ、と思わせておいてくれた方が
むしろ後味はましかも知れません。
あたくしの場合は、ですよ。」
ぷち熟女さんの感じ方や考え方はよく理解できるつもりです。
ひとは、今の感じ方に素直に従うのがいいと思っています。
そして、そう感じるわけをそれなりに考えることも意味があると思っています。
(考え方で感じ方を規制しようとするのは倒錯です)
>それぞれ、書かれたことの意味は理解できますが、
>これらは全部あっしら様側からの物事の見方を通して言われたことに過ぎないですね。
そうだと思っています。
>あたくしが、パートナーの『自己愛』について触れたところに対するあっしら様の反応は、
>あたくしにしてみれば回答としては大変的のはずれたものです。
>あのお答えでは、あたくしの理解したかったことは何も分かりません。
やり取りが長くなり、「パートナーの『自己愛』について触れたところに対するあっしら様の反応」が具体的にどの部分を指すのかが掴みきれなくなっています。
どの部分か教えていただければ、再度説明させていただきます。
>もう一つあるんですよ。
>『また、あっしら様がご自分が選択されたと感じられるための
>必要条件とは何なのかとも考え続けています。』
>こちらに対しても反応はいただきたいです。
上述の「それは、私と向かい合う愛する人が私に与える印象につきます」になります。
異性関係では、相思相愛でも、“相手を愛する”濃度と“相手に愛される”濃度には微妙な差異があると思っています。
“相手を愛する”ことでは相手が自分の思いを受け止めてくれるかどうか重要ですが、“相手に愛される”ことでは自分が相手の思いをどう受けとめるのかが重要になります。
相手を愛しながら相手に愛されるというのが相思相愛(全人的な異性関係)なんでしょうが、個人的には、相手に愛されながらそれを受けとめて相手を愛するかたちが好きなようです。