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(回答先: The Last Samurai感想 投稿者 リーマン 日時 2004 年 1 月 20 日 00:20:54)
The Last Samurai感想を読ませていただきました。
この映画、実は意識的に忌避していて、まだ見にいっていないのですが
このところ西郷ネタがやたらマスコミを賑わしていた理由がよくわかりました。
今日本では総理大臣が今のイラク派兵の「重要性」を
幕末の鎖国から開国へのイメージをなぞらえて
マスコミの前でとうとうと述べられたりしていて
個人的には「やばいんじゃないの」と思う事しきりの状況です。
>若干の妄想をいえば、「日本人にここまで真実を教えてやっても、連中はきっと理解できないぜ。」といって笑っているような気がします。
>そうだとするならば、日本人をテンプラに揚げるための準備は、「我々が思っている以上に作り込みが丁寧であり、よほどの手馴れた人間が知恵をつけている。」ということになります。
>「日本人の中に武闘精神を高揚させることによって、現代の日本人を近未来の戦争へと煽るための映画」
>と巷で言われているような目的だけではないのではないか、と感じました。
(中略)
>一点気になったのは、西郷の天皇に対する忠誠心という部分です。
>映画では西郷は、明治天皇を神のようにあがめていますが、これは作り手の意図的な(意地悪な)作為でしょう。
>これだけ日本の歴史を知っている人間がこの部分について理解を誤るとは思えません。
>西郷はこの点については、それほど後の時代のような忠誠心は感じていなかったと思っています。
>熱心な南朝正統派(水戸学派?)でもあり、自分が担ぎ上げた人間でもあったわけですから、
>天皇というポジションに対してはそれなりの礼儀は尽くしていたと思いますが、
>人間としての明治天皇に対しては、「学ぶところの足りない小僧」といった感覚だったのではないか、と思います。
「水戸学」の事は詳しく知らないのですが、
少なくとも今「表」に出ている江戸以前の日本史(といわれているもの)の流れを見る限りでは、
天皇は武家が日本を統治する上でのお墨付き、後ろだてを得る為の「一種の道具」として利用されてきた面が大きいように描かれているのでその面では引っかかりました。
映画は昔からプロパガンダ(イメージ操作)という目的に良く使われてきたようですから、
今までの「ゲイシャ・サムライ」といった日本人のステレオタイプイメージや
カメラを持って歩いてどこでも撮影をしている日本人というステレオタイプイメージが
映画の中で描かれる事でこれまでなんとなくイメージができてしまったように、
こうした新しい「サムライ幻想」によって
また何かが塗り替えられているような気もします。
この辺りに関しては、見てきたリーマンさんはどのように感じられたのでしょうか。
何かある種のイメージ操作的な感じを、おもちになられたのでしょうか。
今回の映画の場合、感想を拝見する限りは
「日本人は天皇をヒエラルキーとした一神教的な天皇信仰があったのだ」と
いう幕末から明治以降の政府に対するイメージを誘導する事で、
彼等の世界の歴史認識のパズルピースには
当てはめやすくしたのではないかという疑念が沸きました。
あくまで推測です。
それと日本人側の幕末から明治期に関する歴史のイメージに関しての
歴史認識に対するイメージの改竄も行われているように感じました。
で、悪い方に考えると、ひょっとしたら次の時代に対しての
日本人のイメージ作りへの布石がもう既にそこに打たれているような気がして
なんとなくですが、悪い予感が残ってしまいました。
というか、もう「嵌められている」と思うのです、なんとなく。
これが当たらなければ良いですが…こっそり自分の中にしまっておきます。
それでは。