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(回答先: 神保町の古本屋にて、戦前の経済学が戦後とまるで違うこの不思議(戦前派貨幣と信用が中心だった?) 投稿者 オニオン 日時 2004 年 2 月 15 日 02:18:52)
オニオンさん、こんばんわ。
出版統計も知りませんし経済学界事情も知っているわけではありませんが、経済的現実の推移に照らして推測してみました。
● 戦前の日本で「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行に関する本」が多かったわけ
戦前の日本は、金本位制から離脱している期間もあったとはいえ金本位制が通貨制度の原則であると考えられ、国内が金本位制ではなくても国際的には金による決済が行われていたので、経済事象を考察する基礎が「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行に関する本」が多かったのであろうと思います。
金準備が少なくなれば発行される(貸し出しされる)日銀券が縮小しデフレになり、金準備が多くなれば発行される(貸し出しされる)日銀券が増大しインフレになるという変動が明確に存在していました。
金本位制から離脱しているときでも、国内の不況対策のために日銀券を増大させると、それで生じるインフレのために国際競争力が低下するというタガが嵌められていました。
端的には、通貨の発行をはじめとする金融活動が、“自然現象”であり、人は抗うことができないものと見られていました。
そのような金融(お金)が経済活動の根幹を担っているわけですから、経済学者や経済活動を行なう人が「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行」に強い関心を抱くのは自然な流れだと思います。
● 戦後の日本で「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行に関する本」が少ないわけ
対米従属論を持ち出して、中央銀行機能をはじめとする金融活動が自立性を失ったからその分野の研究活動も希薄になったというアイデアも提起できますが、そうであっても知らなければならない重要なものという認識があれば、研究活動は盛んであっただろうと思います。(自立性がないゆえに相手の手法を必死に研究するということもあるでしょう(笑))
やはり、戦後の通貨が管理通貨制を基礎にするようになり、金本位制的桎梏から解放されたことが、「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行に関する本」が少ない主要因だと考えたほうがいいでしょう。
敗戦後の日本は国際交易に再参入するにあたり1ドル=360円という固定為替レートに設定されました。
対外支払いも、金ではなくドル紙幣(ドル為替)で済むようになりました。
この条件であれば、ドルの借り入れができるかどうかが最大の懸案事項になり、次には、米国のインフレ率を超えないインフレ率を維持することが主要な金融政策にテーマになります。
米国の経済主体は、あふれんばかりのドルを保有していましたから、ドルの借り入れは公的保証があれば問題ありませんでした。
そうなると、残るのは、米国のインフレ率を超えないインフレ率を維持することだけです。
金に束縛されずに日銀券が発行(貸し出し)できるのですから、生産活動や需要を高めようと思ったらほどほどのインフレ(10%も可)にするのが正解です。
(デフレ=不況という観念は戦前の歴史でいやというほど認識されていました)
戦争を通じて産業基盤が破壊されていましたから、通貨供給量を横ばいで運営すると、再建とともに生産性が高まりデフレになってしまう条件にありました。
これだけでもインフレ誘導型の金融政策になるのですが、産業復興に伴い国際競争力も高まり、生産活動の拡大がスムーズにできるすなわち経済成長が遂げられる条件もありましたから、資金需要も右肩上がりに増大しました。
そうであれば、商業銀行も、貸し出し利得を増大させようと、貸し倒れをそれほど危惧することなく目いっぱいの「信用創造」に励みます。
(当時は、預金準備率程度の貸し出し規制ですから、通貨発行量の伸び以上に通貨供給量が増大しました。日銀も、当座貸し越しを行って銀行の「信用創造」増大をサポートしました)
生産活動が拡大しているのですから、通貨供給量を増大させても、財の供給量の増加で打ち消されインフレは抑制されます。(このことは、高度経済成長期の高いインフレ率は度を超えた「信用創造」の増加があったことを示唆します)
生産活動の拡大が伴わない通貨供給量の増大であれば、実質成長を伴わない、空回りのハイパーインフレになります。
当時(高度経済成長期)の日本で通貨発行量(通貨供給量)を抑制する要因は、米国経済のインフレ率動向と経常収支の動向でした。
1ドル=360円の固定レートですから、日本が米国よりも高いインフレ率を続けると対米を基本とした国際競争力が劣化することになります。
これを避けることができるインフレ率で金融政策を運営するというのが柱だったはずです。
次に、日本は対外債務国でしたから、貿易で稼いだお金(ドル)で債務を履行する責務がありました。ドルを借りることはできましたが、借りたドルは利息付きで返済しなければなりません。過剰にドルを借りると、貿易収支の黒字が債務返済で消えてしまうのみならず、債務履行不能になる可能性がありました。
国内で生産活動に対する旺盛な資金需要があるからといって通貨供給量を増大すると、原材料のみならず生産設備の一部まで輸入に頼っていた当時の日本は輸入も増加しました。
景気過熱で経常収支の赤字が続くと、引き締め(信用収縮)で輸入を抑制する必要があったわけです。
このように、戦後の日本(他の国もそうですが)は、通貨は無尽蔵に発行できるという前提のもと、米国など国際競合関係にある国のインフレ率を超え続けないインフレ率を維持し、国際借り入れの債務不履行に陥らない経常収支状況を維持するという金融政策を保てば済むという条件にあったことが、「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行に関する本」が少なくなったと考えることができます。
そして、そのような習性が戦後45年も続いたことで、デフレに陥る経済論理が見えなくなった(考えられなくなった)ために、ここ10数年の「デフレ不況」に対処できないでいるとも言えます(笑)
日本のこの間の現実は、「通貨供給量は、通貨当局が増やしたいと思っても、物理的なゴールドだけではない抑制規定論理がある」ということを如実に示しています。