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(回答先: 金本位制の方が(銀行業の)詐欺に気づきやすいということでしょうか? 投稿者 オニオン 日時 2002 年 2 月 19 日 01:54:10)
オニオンさん、レスありがとうございます。
オニオンさん:「「信用(クレジット;銀行貸出など)や中央銀行に関する本」が戦後殆ど見受けられなくなったのは金本位制から管理通貨性に変わったことと(確かに金本位制のほうが”詐欺”が行われていることに気付きやすい)、後は戦後の金融政策が比較的簡単で問題がなかったからということでしょうか?」
“詐欺性”については、逆に、管理通貨制のほうが見えやすいと思っています。
金本位制も管理通貨制も、中央銀行が紙幣を発行しそれを商業銀行に貸し出し、商業銀行が「信用創造」を伴うかたちで政府を含む各種経済主体に貸し出しを行うという基本的な構図は同じです。
“詐欺”は人による意図的な行為ですから、詐欺を働く人を束縛するものが少なければ少ないほどスムーズに行えます。
金本位制時代の中央銀行は、発行(貸し出し)する紙幣金額の40%をゴールドとして保有する義務がありました。(イングランド銀行は25%)
インフレが自身の首を絞めるということを度外視すれば、利鞘を稼ぐためにもっと紙幣を発行してより多く貸し出しをしたいと考えるのが私的中央銀行のサガですが、この当時の“詐欺”は、裏付けのない紙幣を2.5倍(BOEは4倍)まで発行できるという範囲にとどめられていました。
そして、紙幣を保有している経済主体が貨幣を価値実体として蓄蔵(保存)したいと思えば兌換することもできました。(これは国際交易にも通じるものです)
さらに、商業銀行も、「信用創造」を過大に行えば、不況の訪れとともに破綻する危険性を抱えていました。現在のように中央銀行が紙幣を発行し(貸し出し)て、取り付け騒ぎに対応するとか政府が救済措置を講じるということは基本としてありませんでした。
それは、紙幣の発行量が保有金量によって規定されているので、むやみに紙幣を発行するができないことや政府がそのような性格を持つ紙幣を政策的に手に入れることができなかったからです。
金本位制は、紙幣の発行量を保有金量で規制したことで、通貨に関する人為的な操作をけっこう強く制約していたと言えます。
管理通貨制では中央銀行が発行する紙幣の量に制約はありません。(借り手である商業銀行が借り入れてくれる限り、いくらでも紙幣を発行することができます)
商業銀行の貸し出しなどの資産は自己資本比率で規制されるようになりましたが、それでも、12倍から25倍の「信用創造」が可能です。(リスクゼロの国債資産を考慮すれば倍率はもっと大きくなります)
一方、借り入れをする経済主体や稼ぐ経済主体は、保有する紙幣を価値実体に変えることはできず、戦後の特徴であった恒常的インフレで減価する紙幣をなんとか実質価値で減らさないよう努力しなければなりませんでした。(銀行は、「信用創造」という詐欺を働いているので、インフレ抵抗力が強いにも関わらず、予測インフレ率を上回る金利で貸し出しを行うのでそのような努力は不要です)
さらに加えるのなら、あの米国であったように、そしてここ数年の日本で顕著に見られるように、銀行は、「信用創造」の結果が不良債権山積となっても、政府の政策で破綻を防止してもらえるようになりました。(潰されている銀行もありますが、政府の匙加減で決められており、潰さないと決めれば潰さないで済ますことができます)
このような政策がとれるのも、通貨がタダの紙幣だからです。
こうしてみていけば、金本位制より管理通貨制のほうが“詐欺性”がより強いということがわかります。
「戦後の金融政策が比較的簡単で問題がなかったから」という問いですが、これは、比較的簡単でたいして問題がないと思い込み経済論理をきちんと考えていなかったことが、現在のような事態に対処できない無様を晒している原因だと思っています。
紙幣は自由にいくらでも発行でき、それに基礎をおく「信用創造」を通じて、GDPは順調に拡大していくという“限定的時代”を、普遍的なことだと錯誤したツケです。
「信用創造」が破綻につながらずGDPの順調な拡大に資するためにはどうであらねばならないのかを理解しないまま1990年まで辿りついたと言えます。
この観点においては、管理通貨制も金本位制もまったく同じ論理が働いています。
そして、金本位制も、その物理的規定性に“助けられて”(自然現象的に)、強圧的に調整が付けられていただけで、根底にある経済論理を踏まえていたわけではありません。
「近代経済システム」の基本論理は、金本位制であろうが管理通貨制であろうが貫徹しており、通貨制度でそれを解消したり克服することができないものです。
オニオンさん:「「1ドル=360円の固定レートですから、日本が米国よりも高いインフレ率を続けると対米を基本とした国際競争力が劣化することになります。」
この辺りがよく理解できないのですが宜しければ教えてもらえないでしょうか。」
日米が自由貿易でそれぞれがまったく同じ質を持つ財(自動車)を生産していると仮定します。輸送費など貿易に関わる費用はゼロとします。
(米国の企業が日本に製造拠点を持っていると考えればいいでしょう)
1955年時点で、自動車の価格は米国:5千ドル・日本:170万円だとします。
米国の自動車は日本円で180万円ですから、米国の消費者は日本製の自動車を輸入して購入したほうが得です。これは、日本の国際競争力が米国よりも優位だということになります。
1960年になりました。
この5年間のインフレ率(自動車価格の上昇率)は、米国:10%・日本:20%でした。
自動車の価格は、米国:5千5百ドル・日本:204万円になります。
米国製の自動車は日本円で198万円です。これにより、日米の競争力は逆転し、日本の自動車輸出は米国の供給力が不足していない限り不能になります。
このように、固定相場為替制であれば、インフレ率の相対比較が国際競争力の要になります。
※ 「近代経済システム」において国民生活を向上させるためには所得の増加が必要です。
しかし、所得が増加しても、同じ割合で物価が上昇すれば、国民生活は向上しません。ただ、名目的な所得金額が増えただけになります。
完全雇用を前提にすれば、国民生活を実質的に向上させるためには、生産性の上昇(同じ活動(労働)力でより多くの財を生産するようになること)が不可欠です。
一方で、所得が増加しない(常に完全雇用であれば総需要も増加しない)まま生産性が上昇すると、“輸出が増加しない限り”、単位当たりの財の価格は下落します。(需要金額は同じなのに供給量が増加するから)
この所得増加と生産性上昇の相関関係を考えながら舵取りをする必要があります。
(個別の財は飽和という壁がありますから、財の多様性を広げる必要もあります)
生産性の上昇が競合する国民経済よりも上回っているならば、国民生活を実質的に向上させながら国際競争力の優位を維持するのはそれほど難しくありません。
オニオンさん:「「金に束縛されずに日銀券が発行(貸し出し)できるのですから、生産活動や需要を高めようと思ったらほどほどのインフレ(10%も可)にするのが正解です。
(デフレ=不況という観念は戦前の歴史でいやというほど認識されていました)」
これに関連した話で、以前「貨幣の生態学ーー北斗出版」という本で読んだのですが、12世紀〜15世紀の神聖ローマ帝国の一部でブラクティエートとという時間がたつごとにその価値が減却する貨幣が用いられたことがあるそうです(当初の目的は減却ぶんを税金とすることにあったようです)。当然人は持っていても損するだけのお金なら早く使わないと損だということになりますから経済活動が非常に活発になり「農家と城に差のない」と言われるまでに繁栄したとの事です。この辺の話は興味深いと思います。」
現在話題になっている「地域通貨」につながるテーマですね。
私は、「持っていても損するだけのお金なら早く使わないと損」というインセンティブで経済活動を活発化させるというアイデアは成功しないと考えています。
それで経済が活発化するのは短期で、中長期的にみればそれが経済をより活発化させることはありません。
なぜなら、「持っていても損するだけのお金なら早く使わないと損」は、通貨の流通速度(回転率)を高めるだけで、使える通貨の絶対量を増加させるわけではないからです。
「持っていても損するだけのお金なら早く使わないと損」に適う流通速度になったら、それ以上は速くなりませんから、その流通速度が常態になるだけです。
もう一つ、使われる通貨の絶対量を増加させる通貨の流通量を増やすという手もありますが、これも短期だけの効果で持続性はありません。
よく、日本は、とりわけ老人は貯蓄をしてお金を使わないと言われ、それが消費に回れば経済は回復すると主張されてもいます。
しかし、貯蓄は、貯蓄している本人は大事にしまってあると錯誤しているだけで、実際にはそのほとんどが貸し出しを通じて別の経済主体によって使われているものです。
貸し出しに使われている貯蓄を引き出そうとすれば銀行は支払い不能になります。
おそらく、預金の10%が一気に引き出されればそうなるはずです。
だらだらであれば、前に引き出されたものが回りまわって銀行に戻ってくるので問題ないはずです。
そうやって貯蓄を使ったら確かに経済活動は活発化します。
しかし、それは貯蓄を使い果たした時点で終わりで、その後には反動としてのデフレ不況が発生することになります。
現状の日本だったら、おそらく、消費を通じて借り入れをしている企業に貯蓄されていたお金が移り、そのお金が銀行に返済として回るということになるので、銀行の不良債権解消には貢献するでしょう。
持続的な所得(総需要)の増加が実現されない限り、持続的なGDP拡大(経済活動の活発化)はないというのが「近代経済システム」の基本論理です。
(所得(総需要)の増加は輸出の増加で補うことはできます(笑))