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(回答先: 器量の問題か 投稿者 真実は 日時 2004 年 1 月 08 日 10:05:10)
昔の戦争のように、明確な、見える形で国家総動員体制にはならないでしょうが、私の目には、すでに、象徴としての天皇制が利用されていると見えます。
時代錯誤もはなはだしい、君が代・日の丸・こころのノート(これらの教育現場での扱い、都議会での議論等、中身を検証してください)の横行。今後、より一層、戦争の求心力として、このソフトな象徴が大きな存在となることでしょう。自覚されぬまま。共産党の綱領のなかの天皇制の位置づけの後退もまた、戦争へのシナリオ踏襲とみます。
また、天皇家の一員として加わることは、積極的な意思的行為です。美智子さん、雅子さんはとくに選択権がありました。また、たまたま天皇家に生まれたといっても、抗うことは充分可能なはずです。
昭和天皇も戦時中、その意志において、戦況が左右された部分が大きくありました。
「もう一花咲かせてから」だの、戦争責任を問われた際、「そうした言葉のアヤには答えられない」とかわされた「真意」も十分に人間としての意思をみることができます。
今あるシステムに抗わないということは、甘んじるということです。そのシステムが戦争への流れであるとき、しぶしぶであろうが、積極的にであろうが、拒否しないということは、戦争加担です。そのシステムからはずれるか否かは、二の次です。