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(回答先: 連載第五回 社会システムとは何か(MIYADAI.com) 投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 07 日 13:09:59)
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連載第四回:秩序とは何か?
http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20030712
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■社会学の基礎概念を説明する連載も、第四回を迎えました。前回は「システムとは何か」を説明しました。システムとは、一定の環境の下で、複数の要素が互いに他の要素の同一性のための前提を供給しあうところに成立するループ(の網)のことでした。
■こうした概念化によって、環境に開かれることで内部的に閉じたシステム、あるいは、環境に開かれることで上方ならびに下方に開かれたシステム、さらには、システムの全体的作動があって初めて同一性を維持できる部品、といった観念が与えられました。
■この種のシステム概念は、ロボットと違って「一度バラして組み立て直すと元通り動く」ということのない生物有機体を記述する目的で、70年代以降に洗練されました。以前のシステム概念は、太陽系を要素間の均衡として記述するような、質点力学的な枠組でした。
■古い機械論的な枠組を均衡システム理論、新しい有機体論的な枠組を定常システム理論と言います。前者は、初期状態の設定以降は外部とエネルギーや物質の出入りがなくなる孤立系の状態を、フィードバックを通じた無限波及の結果として記述するものでした。
■後者は、対流や流体の渦のように、外部とエネルギーや物質の出入りがある中で相互依存する要素からなる全体の同一性が保たれるような、非孤立系の秩序を記述します。前者を採用する経済学と違って、社会学は後者すなわち定常システム理論を採用するのでした。
■さて、秩序を「無限波及の落ち着き先」という観念と互換的に用いる(ゆえに秩序概念に固有の負荷がない)均衡システム理論と違い、定常システム理論では今まで無定義で使って来た秩序概念自体が問題化します。そこでは統計熱力学的な秩序概念が用いられます。
■前回予告したように、定常システム概念と統計熱力学的な秩序概念を同時に理解して初めて、70年代以降の社会学が、定常システム理論に依拠することの認識利得を、正しく理解することができます。そこで今回は「秩序とは何か」を分かりやすくお話しいたします。
【場合の数の多寡としての秩序】
■統計熱力学では、秩序とは相対的にエントロピーの低い状態です。エントロピーとは、与えられたマクロ状態に含まれる、ミクロ状態の違いによって区別された場合の数の、多い(マクロ状態の生起確率が高い)/少ない(生起確率が低い)を表します。
■エントロピーが高いとは、マクロ状態に含まれる、ミクロ状態の違いで区別された場合の数が多いことで、エルゴード性(ミクロ状態の均等な生起)を前提にすれば生起確率が相対的に高く、ゆえに自由エネルギーが相対的に散逸した(仕事ができない)状態です。
■最単純モデルで分かりやすく説明しましょう。今、白玉二つと黒玉二つの計四つを、縦横二つずつ計四つ入る正方形の枠内に並べます(図1)。このとき「左側に黒だけ、右側に白だけが並んだ状態」「ランダムに並んだ状態」といったものをマクロ状態と言います。
(図1)
■ちなみに白玉黒玉の玉数がもっと多ければ、「ランダムに並んだ状態」は遠くから見て(たいてい)灰色に見えます。さて「左側に黒だけ、右側に白だけが並ぶ状態」と「ランダムに並んだ状態」とでは、どちらのマクロ状態のほうが秩序立っているでしょうか。
■そこで、ミクロ状態の違いによって区別された場合の数をカウントしてみることにしましょう。白玉二つを1番玉・2番玉として互いに区別し、黒玉二つを3番玉・4番玉として互いに区別します。これをランダムに並べる場合の数は、4の階乗で24通りとなります。
■ところが、左半分に黒玉が、右半分に白玉が並ぶ場合の数は、2の階乗を自乗して4通りです(図2)。すなわち「左に黒、右に白」と「ランダム」というマクロ状態を比べると、ミクロ状態によって区別される場合の数は、前者は4通り、後者は24通りとなります。
(図2)
■従ってマクロ状態の生起確率を比べると、「左に黒、右に白」は「ランダム」の24分の4、すなわち6分の1の確率で生起することが分かります。このとき、場合の数の多い(生起確率の高い)「ランダム」というマクロ状態はエントロピーが相対的に高いと言えます。
■逆に言うと、場合の数の少ない「左に黒、右に白」というマクロ状態はエントロピーが相対的に低いのです。この状態を「相対的に秩序立っている」と言います。ちなみに「左に黒、右に白」と「左に白、右に黒」との間には相対的に秩序の度合に違いはありません。
【システムの内部的作動による秩序維持】
■こうした統計熱力学的な秩序概念と、前回紹介した定常システム概念とがどう結びつくのかを概略説明します。定常システムとは、複数の要素が互いに他の要素の同一性のための前提を供給しあうところに成立するループでした。AとBと二つの要素で考えてみます。
■Aの変域がa1,a2,…,an、Bの変域がb1,b2,…,bmだとします。AとBの値の組合せはn×m通り。ところで今、Aがa1のとき次時点でBがb2となり、Bがb2のとき次時点でAがa2となり、Aがa2のとき次時点でBがb1となり、Bがb1のときAがa1となるとします(図3)。
図3
a1 a2 b1 b2
■そうすると、任意の時点でのAとBの値の組は(a1,b2)(a2,b2)(a2,b1)(a1,b1)の4通りとなり、1時点でとりうる場合の数を比較すると、ループが存在しない場合の(n×m)分の4の状態しか現実化できない、つまり場合の数が少ないことが分かります。
■時間的に見ると(a1,b2)→(a2,b2)→(a2,b1)→(a1,b1)→(a1,b2)→…と4通りの状態を循環的に遷移するので、エルゴード仮説の下では任意の連続4時点間で(n×m)の4乗分の4の生起確率で、秩序すなわち確率論的にありそうもない状態が現実化しています。
■かくして定常システムは要素間の交互的条件づけという内部メカニズムの永続的作動で、確率論的にありそうもない状態を維持します。これを「内部的作動による秩序維持」と言います。初期状態が決める無限波及的均衡に注目する均衡システム理論にはない概念です。
■いいかえれば、定常システム(以下システムという)の内部的作動は、確率論的にありそうもない状態を、ありそうな状態から区別して永続的に維持するという課題を負っていることになります。この課題を「システム境界の維持」ないし「境界維持」と言います。
■従って、システムとは、「内部的作動によって境界維持を行う何ものか」だと言えます。境界維持とは、確率論的にありそうもない状態を、ありそうな状態から区別して維持することですが、これを記述するために、複雑性ならびに複合性という概念が用いられます。
【複雑性と複合性、そして認識利得】
■与えられたマクロ状態に含まれる、ミクロ状態によって区別さた場合の数を、「複雑性」と呼びます。秩序とは、先に紹介したように、この場合の数が少ないがゆえに生起確率が低い(相対的にありそうもない)状態です。だから、秩序とは「複雑性の低い」状態です。
■従って、システムと環境との間には「複雑性の落差」があります。環境は無秩序なので「複雑性が高い」。この概念を使えば、システムとは、「内部的作動によって内外の複雑性の落差を維持する(あるいは内部複雑性を低いままに留める)何ものか」だと言えます。
■お分かりのように、複雑性概念は日常的語感とは正反対です。例えば、生物が高等に進化するほどシステムの「内部構造が込み入って」きますが、そうなるほどマクロ状態の生起確率が低くなる(ありそうもなくなる)ので「複雑性が低い」ということになります。
■日常的語感ではシステムの内部構造が込み入ってくることをこそ複雑だと言いたくなります。ちなみにシステム理論では、内部構造が込み入っている度合を「複合性」と呼びます。つまり、日常的に言う意味での複雑性は、システム理論で言う複合性のことなのです。
■もう少し専門的に言うと、複合性とは、システムの記述に必要な情報量のことです。複合性の高いシステムほど複雑性が低い。すなわち、記述により大きな情報量が要求されるシステムほど、マクロ状態に含まれる場合の数が少なく、生起確率が低いということです。
■論理学や集合論の言葉を使うならば、複雑性は「外延的な規定」であるのに対し、複合性は「内包的な規定」です。ちなみに、「2,4,6,8」といった要素列挙を、集合の外延的な規定と言い、「8以下の正の偶数」といった属性記述を、集合の内包的な規定と言います。
■かくして、定常システム概念と統計熱力学的秩序概念を併せて理解することで初めて、最近の社会システム理論の文献を読むと頻出する諸概念、すなわち複雑性・複合性・内部的作動・内外差異(内外の複雑性の落差)・境界維持などの派生概念を理解できるのです。
■その結果、部分の同一性を全体が与えるという前回紹介した認識以外にも、定常システム理論の多大な認識利得が見えてきます。一口でいえば「内部的作動による内外差異の維持存続」というスキームに集約される、時間的なダイナミズムへの注目可能性なのです。
■すなわちシステムの定常性とは、無限波及的均衡に達すれば得られるものではなく、複雑性の内外落差を維持するという永続的な課題に答えるべく内部的作動を永続させる、あるいは内部的作動を永続させるべく複雑性の内外落差を永続させるという、ありそうもない動的メカニズムの中で、辛うじて浮かび上がってくるものだということなのです。