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(回答先: 劣化ウラン問題の半端知識、生兵法は怪我のもとなので再度注意喚起、偽の友を甘やかすな 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 10 月 20 日 22:42:15)
木村さん、ずいぶん遅いですが今晩は。
先ほどまで上のご投稿の中にある言葉に納得していたんです。
>「偽の友は公然の敵より悪い」または「公然の敵は偽の友より良い」(イギリスの諺)
ただ、ユダヤと異常な姿で出生せざるを得なかった赤ん坊や子供は違う。そこで、下から上がっている問題の分岐点としてここを
使わせて頂きます。
……………
無知、無視、無神経も、また偽の友より良いでしょう。
異常な出生の姿で、生き延びられるなら生きゆかねばならない赤ん坊や子供にとって、自分の形姿を使った偽の友が、プロパガ
ンダ的な独善的異議申し立てののアピールを異国で叫んでいようと、関係ないという事に行き着く。
その独善を独善なのだと明白に現すなら解りやすい。別に否定はしない。使えばいい。
「私にも生き行く場所、行き行く人間としての尊厳を与えてくれているのか。共有の場を与えていてくれるのか」そう彼らが語って
いるとすれば、禍々しいイメージが入っている言葉を、己が身の為にのみ使う者は何者か。
言葉の問題じゃないのです、言葉の下の姿勢は、友か、無知か、敵か。
生き行かねばならない者に共感を持って言葉を使っているのかどうかを、被差別者は見抜きます。
日本の中でも同じ問いをもって見ている人々はいます。こいつは敵か、無知かと…。
奇形という言葉を使う事は否定しない、しかし当たり前に出てきて当たり前に生活できるような、誘いや肯定の了解できる文脈等配慮するべきではないのか。どういう姿勢、どういう結ぼれがあるかが問題なのです。
いずれあなたも老いる、病を得ることもある。異形の姿となり、同じ立場に立つ日もあるかもしれない。
それを考えるべきではないのか。そう問う人がいる。
…………
これが偽善的人権派の姿勢なのか私には解りません。