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(回答先: あっしらさんの能力に、今さらながら驚いています。 投稿者 エンセン 日時 2003 年 11 月 02 日 00:51:15)
エンセンさん、レスありがとうございます。
雑談版での英治さんとのやり取りを盗み見して事情は察しております(笑)
エンセンさんが危惧されているように、彼ら(「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」)の文章を読んで信じてしまう人はけっこういると思います。
とくに、まじめで人権意識が強い人が...
彼らが作為や謀略ではなく心底からあのように考えていることが、より多くの人を惹きつけるはずです。(作為的な匂いを感じるとそこから疑いが発生しますが、一途なものには惹きつけられてしまうものです)
ひとのために身を犠牲にして活動している、情報を集め分析して結論を導いている、とんでもない悪に手を汚した人にも深い同情と思いやりを示している、
このように受け止めると、内容の吟味がおろそかになり、すべてを受け入れてしまいがちです。
“真実”という言葉も、科学や宗教で“真理”が語られ、それを手に入れたいという人が多い世の中ですから、具体的な内容ではなく、“真実”という言葉そのものに魅了されてしまう可能性があります。
>そして自分たちの暴走に気が付いているようなので、私は怖いものを感じてしまいます。
>自分たちの行動によって、どのような批判を浴びることになるのかも、理解しての行
>動のようです。
>そしてその行動の結果も、あらゆる角度から予想して、その時の自分たちの行動まで
>シミュレート済みのようです。
>暴走を理解しているわけです。少なくとも数人は。
暴走という理解ではなく、殉教に近い感覚ではないかと思っています。
“真実”を知る者は少なく、“真実”を受け入れる者も限られている、“真実”を知っている我々は、どのような迫害や罵りを受けようとも、“真実”に殉じるといったものではないでしょうか。
「奴らは自分達と違う意見も受け入れるような口ぶりですが、実態はそのような人たちを全て切り捨てています」というのは確かで、その切り捨て方も、彼ららしい“やさしさ”で行われています。
キレたり口汚く反応するのではなく、“真実”が受け入れない哀れな人という見方です。
>気になるのは、その根拠(証拠)が示されていませんので、その暴走を指揮している
>人物が私には気になります。
>指揮している人物も心から被害者父親が真犯人だと信じて疑わないのか、と。
これは、“正統派”キリスト教の指導者が人類の原罪を信じて疑っていないのと同じだと思っています。
証拠と言えるものはないのですが、解釈を根拠として信じ込んでいます。
そして、信じてしまった後は、それをベースに物事を見る(解釈する)という思い込みの世界に入っています。
(私も世界経済支配層などとまったく同じレベルのことを語っていますが、一応常に、そういうものが存在しないとしてどうなのかと考えているつもりです)
>「真犯人」が誰であっても奴らは、いいのだと思います。
>でも殆んどの、あの団体の人たちは父親が「真犯人」だと信じています。
>トップはどうなのでしょうね?
彼らが「真犯人」が誰であってもいいと思っているようには見えません。
彼らなりのひらめきと推論で、あのような信仰に入ったと思っています。
あのような無残に殺された父親が“自明”の“真実”を受け入れないのは何かがあるに違いないというのが出発点だと推測しています。
そして、その結論に照らしていろいろなものを見るとすっきりするので、さらに確信を深めるという悪循環に陥っています。
悪気がないから読んだ人を引き入れてしまう困った存在だと言えます。
手紙を読み直しても、父親真犯人説に悪気や策謀は感じられませんでした。
彼らの思考をトレースすると、思考不足と思い込み(信仰)でとんでもないドツボにはまっていますが、それなりの筋は通っています。
>あとは、A少年(当時)の出所を奴らが知ったときに、どのような行動に出るのかが
>怖いです。
>その行動は予想できそうです。危険です。
彼らはA少年に接触できるかどうかわかりませんが、接触できれば、“信仰”を告白して、A少年に対決を迫るはずです。
印象に過ぎませんが、精神をずたずたにする犯罪行為に走っても、肉体をどうこうする犯罪行為には向かわない人たちだとは思っています。
この問題を考えるたびに、理念や主義で現実を裁断してしまうことの恐さを思い知らされます。
理念や主義に照らして現実を認識し、現実の認識をもとに理念や主義を修正していくという双方向的思考を不断に行わなければ、蟻地獄にはまったことさえ気づかずに愚かな行動を続けてしまうことになります。
※ そろそろ眠るつもりです。