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(回答先: 理念や主義で現実を裁断してしまうことの恐さを思い知らされています 投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 02 日 03:41:45)
あっしらさん、毎度どーもです。
>雑談版での英治さんとのやり取りを盗み見して事情は察しております(笑)
お読みだろうなあと、分かっていても「盗み見して」とか言われると、結構恥ずかしいもんですね(笑)
>エンセンさんが危惧されているように、彼ら(「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」)の文章を読んで信じてしまう人はけっこういると思います。
とくに、まじめで人権意識が強い人が...
ここに私は非常に危険なものを感じましたね。
現に掲示板を読んでいても、信じきってしまっている(ヤラセが無いと考えて)人が多くいるようでした。
もしかしたら私だって、もっと若い頃にあのフォーラムの文章に出会っていたら、父親犯人説を根拠もないまま信じてしまっていた“かも”しれません。
他人の影響を受けやすい若い方があの文章に出会ってしまうと、そのまま受け入れてしまう危険が大きいと思いました。
>彼らが作為や謀略ではなく心底からあのように考えていることが、より多くの人を惹きつけるはずです。(作為的な匂いを感じるとそこから疑いが発生しますが、一途なものには惹きつけられてしまうものです)
そうなんでしょうね。
不思議なのは、例えば、あっしらさんや、竹中半兵衛さん、クエスチョンさん、うぃるさん、退院迫るさん、そして私(エンセン)のように、このフォーラムに関しての投稿に反応された方たちは皆、冷静は判断をしています。
そしてあの行動を批判する立場での発言内容のようです。
であれば、どうしてあのフォーラムには、我々のように冷静に考えて、あの暴挙のような行動を抑制・止める人がいない(いないように見える)のでしょうか。とても不思議に見えました。
>“真実”という言葉も、科学や宗教で“真理”が語られ、それを手に入れたいという人が多い世の中ですから、具体的な内容ではなく、“真実”という言葉そのものに魅了されてしまう可能性があります。
“真実”を求めるためなら、あのような行動であっても許される、という考えに陥っているということなのかな?
クエスチョンさんも書いておられましたが、カルト的な信仰に見えますね。
自分たちが正しい、という他の意見を聞き入れない状態ですからね。
>暴走という理解ではなく、殉教に近い感覚ではないかと思っています。
“真実”を知る者は少なく、“真実”を受け入れる者も限られている、“真実”を知っている我々は、どのような迫害や罵りを受けようとも、“真実”に殉じるといったものではないでしょうか。
それが自殺行為になる可能性もあるというのに、その自殺行為の可能性も理解しての行動ですからね。「殉教」という言葉が適切かもしれませんね。怖いなあ。
>彼らが「真犯人」が誰であってもいいと思っているようには見えません。
彼らなりのひらめきと推論で、あのような信仰に入ったと思っています。
あのような無残に殺された父親が“自明”の“真実”を受け入れないのは何かがあるに違いないというのが出発点だと推測しています。
あの団体が何人くらいの規模で活動しているのか分かりませんが、その全員がその「信仰」にどっぷりと浸かってしまっているところが非常に不気味です。
>手紙を読み直しても、父親真犯人説に悪気や策謀は感じられませんでした。
私はもうあそこの発している文字には触れたくないですわ。
マジに疲れましたもん(笑)あっしらさんのパワーは凄い。
>彼らの思考をトレースすると、思考不足と思い込み(信仰)でとんでもないドツボにはまっていますが、それなりの筋は通っています。
これは私も読んだ時に思いました。確かに筋は通っているようです。
でも一番重要な根拠・証拠が示されていないので、その筋が切れているかな。
>彼らはA少年に接触できるかどうかわかりませんが、接触できれば、“信仰”を告白して、A少年に対決を迫るはずです。
A少年はもう表に出ている可能性もありますが、まだ中にいると考えた場合、出所(生きたまま)は可能なのかなあ、とか考え込んでしまいます。
この事件を冤罪だと考えていますから、A少年を表に出してしまうと、口をふさぎ続けることの難しさから何かしらの動きがある(我々には見えませんが)と思っていますが、出所前の方がその動きは簡単です。
この辺りのことを考えると色んな妄想が頭を駆け巡ります。
>印象に過ぎませんが、精神をずたずたにする犯罪行為に走っても、肉体をどうこうする犯罪行為には向かわない人たちだとは思っています。
そう思います。
その「精神をずたずたにする」ほうがタチ悪いのですがね。