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すみちゃんの語らなかった明治時代の歴史(その3)です。
グラバーこぼれ話
グラバーは、「薩長合作を裏で仕切り、戊辰戦争を起こさせて、武器の売買でしこたまもうけようと思ったら、彼のたくらみを見抜いた西郷と勝にいわば「うっちゃり」を食らわされ、ずいぶん損をしてしまった。」という事実は、すみちゃんが夏頃の投稿で触れていました。
グラバーは「武器商人」であったという事実は、ものの本を読めば書いてあります。
あとは、お茶なんぞを日本から輸入していた、という事実もわりとよく調べられているようです。
ところが、彼はもう一つ重要な商品の輸出を課題として与えられていましたが、結局果たせなかったようです。それは何だと思われますか?
答えは「アヘン」だと思います。
私は、このことに触れている日本語の文章に触れたことがありません。
どうして、このことに触れないのだろう、と不思議でした。
一方で、すみちゃんの投稿を読んでいる人には、「まあ、そういうこともあったかもしれんな。」としたり顔に答えるかもしれません。
そういうあなたに問うてみたい?
どうしてグラバーは、日本でアヘンを売らなかった(売れなかった)のでしょうか?
グラバーは、スコットランドから上海に来て、中国人との商売のやり方を数年間仕込まれます。その後、ジャーディンマセソンの下級社員として、長崎に派遣されます。
私は、長崎の港に降り立ったグラバーが、日本人達をじっと眺めている(観察している)姿を想像することがあります。彼は、「日本人は中国人とどこが似ていて、どこが異なっているのか?」を考えながら、日本人を観察したことでしょう。
もし日本人が中国人と同じならば、中国人と同じ手法を使ってアヘンを売り込めばいい。
もし日本人が中国人と違うのであれば、何か別の方法を自分で考え出さなければならない。
「日本人は、健全な国民だったので、中国人みたいに扱うのは無理だったんじゃない?」といいたくなるところですが、そう片付けてしまうことは、先の投稿で述べさせていただいた「1.b」に当たるような気がします。
また、現代の自分たちの薬の問題との関連性にも結び付けて考えることが出来なくなってしまいます。
明治の元勲たちは、例えグラバーにアヘンの売人としての過去の実績があったとしても、その経歴を握りつぶしてしまったことでしょう。文献をあれこれ探しても、答えは見つからないと思います。
すぐに答えを出す必要はないと思います。
あれこれ、さかしらな解釈をつけると、もっと大きな枠組みが見えなくなるということもあるかもしれませんので。
今でもイギリス人(アメリカ人も)は、グラバーが長崎港で日本人を見ていたのと同じ目線で私たちを見ています。
皆さんも、あまり書物にたよらず、じっとひとりでその当時のグラバーの目になったつもりで、過去をインナートリップに出かけられると、何か面白いものが視界に飛び込んでくるかもしれませんよ。