現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用6 > 537.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 種蒔きと肥料 投稿者 baka 日時 2003 年 12 月 14 日 17:31:20)
一応生物学的には女性である私からの意見です。
まず、排便行為は純粋に付随意で物理的な現象で、溜まっている間不快だったものが出ればそりゃすっきり爽快にはなりますが、特に精神的な関与もなく、セクシャルな深いエクスタシーというものと関連づけるのは困難があります。
精神的なものに精一杯例えたところで、せいぜいいくら考えても分からなかった試験の問題がやっと解けた時に感じる解放感といったところでしょうか。男性もそう感じる人が多いのでは?
但し、酷い下痢や便秘で痔を患ったりしていれば、排便はとてもおっくうなもので、出した後もしばらく不快感の方が強く残ることになります。
しかし、出産のエネルギーは肉体的には強烈な脱糞のエネルギーと性的な精神的(といっても生理物理学的には違いありませんが)快感双方に通じるところはあり、出産後は爽快感というよりは(産後しばらくは身軽になって爽快どころか、肉体的には悪露や会陰の裂傷や血圧の急激な昇降、疲労虚脱感、授乳中も猛烈なカロリーの消費などでひどく不快でバテた状態になります)内的な深い充実感達成感や安らぎ、更に子供に乳を吸わせた時などに感じる純粋な幸福感があるという意味では性的なエクスタシーに共通する精神的な要素があるとも言えます。
まあ、肉体精神などと分けずに生理学的現象に例えたとしても、排便と性交の快感に関与する脳内ドラッグは、それぞれまったく別のものだろうとは言えると思います。
性行為に関して言えば、あくまで私の感覚が基礎で、データを集めたものではありませんが、女としての経験を通して言えることはあります。
私は、相手が自分に本気で惚れているのが明白、つまり他の女性がいないとか、手近で妥協されているとかではない、深い信頼が感じられる相手ではないと決して達することはできません。逆に性行為で自分がいけるかどうかが、その相手が私に偽っていたり、軽くみていたりしているかしていないかを判断できるバローメータにさえなっています。相手に気に入られる為に芝居をしたことはありません。今は夫との関係のみで、不満もありませんが、昔は何人か(10本の指には納まりますが)の男性と付き合っていたのでその差や結果に関しては大変はっきりした結論を持っています。
自分自身も相手に自分を偽ったり筋を曲げることが嫌いなので、もとは自己信頼の強さに拠るのかも知れませんが。
まあ、エクスタシーというのは自我の明け渡しのようなものだと思いますので、自然の原理なのでしょう。女性は特に生命を生む機構からして、防衛的な作りになっていますので、やればイク、という風にはなっていません。実際、私も複数の女性に目移りしたり、自分を軽くみている相手との性交でいったためしはなく(そういう相手にも、なんらかの魅力や期待を感じてつきあってはいたのですが)、ある程度先駆する快感があっても高まりきれず、感覚が分裂したようになって欲求不満に陥るのがオチ、という感じでした。
また、私の女性の知人の話や、女性誌のアンケートなどを見て、多くの女性が、既婚未婚を問わず、今までいったことがないか、欲求不満を強く持っているか、性交自体が面倒で苦痛(「おつとめ」感)を感じると言っているのを知りました。中には、今まで性交したなかで、異物感以外何も感じたことがない、と言う人もいます。いわゆる不感症、ということなんでしょうが、私の知人の中には、不感症なだけでなく相手の行動や表情や体臭を芝居しながらぼーっと好奇の目で観察して、相手を支配して見下すということに、別の意味での強い快感を見出している、という人もいました(そういう人は、同性の目から見てもあまり好ましい性格ではないのですが)。また、十分に満足している、という女性は、見栄を張っているのでなければ、やはり恋人や配偶者が彼女を裏切っていないということが傍目にも明らかな感じでした。
実際、性的な快感を感じるのは乳首乳房Gスポットを含む各生殖器の部位に、それぞれ独自でしかも絡み合う感覚があり、その意味では女性特有とよく言われるマルチプルな快感(しかし男性も陰嚢や乳首を含め、交流が深まれば開発される性感部が複数あるので、女性のみをマルチプルというのは、ゼウスの支配的願望以外に根拠はないでしょう)というのも存在するのですが、やはり、完全に感覚が裏返って達したことをはっきり知覚させる部位の中心は、陰核(クリトリス)でしょう。その部分を通して刺激のピークが脳に伝わったとき、足から頭の芯にかけて起こる断続的な電気的痙攣とふわーっととろけるような脳内物質放出性の解放感が伝わります。この感覚は、男性の陰茎(ペニス)が達する時にそこ中心に起こる電気的痙攣と脳内物質の放出と質的には同一であると思います。強いて違いを言えば、経路の向きかも知れません。女性はその時射精するわけではないので、内部に向かってぎゅっと突き上げてエネルギーを内部放出するような向きで、男性はエネルギーを陰茎の外に排出するというような向きで起こります。例えば、女性は井戸からポンプで管の上にくみ上げる感じ、男性は、それを今度は水道から外に流す時のような向きという感じで、双方で一連なりの循環になっていると言えばいいかも知れません。
もともと男性も胎内で陰核だったものが肥大して陰茎になったのですから、快感の質が大同小異になるのは自然だと思います)。
また、上に女性が真に感覚を開いて相手を感じられることが貴重かという例を書きましたが、レイプというのは性感という意味では全く論外です。生命を体内で育み、産むために、防衛的な構造になっていると先ほど書きましたが、レイプの場合、本来豊かな感覚器官になっている敏感な部分は、全て激痛や鈍痛を感じる器官になってしまいます。
セックス経験のある女性でも、肉体的痛みと恐怖と嫌悪感と屈辱は相当は想像を絶するものです。(私は、かつて関係を持っていたが、終わっていた男性から一度だけレイプされたことがありますが、そういう相手ですら大変な苦痛だったのに、まして見知らぬ男性から、なんて考えるだけでも発狂しそうになり、吐き気すら催します)。
ただ、酷い暴力を受けているだけで、女性の側からはとても「セックス」と呼べる余地はありません。男性の方でも、男性やキライな女性に勃たないペニスをいきなりいじられたり、(ゲイであっても)とても許容できないタイプの男性にいきなりねじ伏せられて肛門に突っ込まれ、ついでに抵抗したらぼこぼこに殴られようなることを想像すれば、たいていの人は冗談じゃない、と思うでしょう。
それに加え、女性は生命の受容器、という女性性を剥奪される恐怖も味わうのです。
更に、処女膜を破られるなんていうのは、好きな相手とであっても痛いものですが、さらに濡れてもいない、恐怖の塊になっている状態で無理に挿入されることは地獄です。
自殺などをしないで済んだとしても、おそらく、よほどいい人にめぐり合ってリハビリをしていかない限り、ほとんどがその時点で恐怖と苦痛が凍結し、極度の男性恐怖症か、開き直ったり無理に克服しようとして男性と関係をもったとすれば、一生不感症になってしまう危険性が高いでしょう。
以前、売春する女性の大半が不感症、あるいは、恋人との性交では感じるが、商売の相手とするときは意識的に苦痛の増大を避けるために感じなくしているという話を聞いたことがあります。濡れるということ自体は、自分で気持ちの用意をして創造力を使ったりすれば結構できるものですが、確かに性交時の感覚というものは、不随意とは言えないもので以外と自分で意識的にコントロールしているものですから、それはできるのでしょう。しかし、男性の場合副交感神経まで感覚をシャットしてしまえば、陰茎が萎えて行為の続行もお芝居も不可能になってしまいますから、そういう明らかな肉体的変化を伴わない女性だからこそできるワザ、とも言えるでしょう(尤も、声の出し方や顔の表情や動き方「ではなく」、瞳孔や涙腺の開き具合や光り具合、唇の濡れや充血、陰核のやわらかさや自然な濡れ方や痙攣の仕方や呼吸音、などで、女性が男性に魅力や好意を感じているか、それともお芝居か、は見分けがつきます)だからこそ、女性の方が不特定多数相手の売春に向いているという訳なので、決して女性の方が男性に惚れやすいとか感じ易いから売春をしたがるのだと勘違いしてはいけませんよ、男性諸氏。
まあ、ちょっとしたファンタジーを描く位ならともかく、本気でそう信じて風俗に通っている人がそんなにいるとは思いませんが、男性誌のエロ系漫画やアダルトビデオなんかを覗くと、どうもレイプがきっかけで相手の男性に惚れてメロメロになってイッちゃった、なんていうおよそあり得ないようなお粗末な設定のものも結構目にしてきたし、雑誌の投稿で援助交際の女の子を買った人の経験談で「普通に考えれば、本気で感じてくれないのも、商売でやってるんだってことも分かっているつもりなんだけど、ひょっとしたら、若い子が俺のテクニックに惚れちゃってはじめて本当の快楽に目覚める、なんて可能性につい期待して興奮する。でも実際抱いてみたら、全くのマグロちゃんで媚ひとつ売ってくれなかった。正直言ってもう結構、って感じ」なんていうのも目にしたことがあるので、危ういものは感じます。
それと、最後にスレッドの下方に、女性が自分を好きな相手に「あげる」という表現をすることについての議論がありましたが、自分なりに考えてみたことを少し。
私は夫とセックスしたあと、お互いにありがとう、とかごちそうさまでした、と言ってしまうような感じなので、あまり意識はしませんでしたが、時々甘えついでの戯れにいいもの(見せて)あげちゃおっかな〜、なんて言ったことはあります。
でも、考えてみたら、勃起を促す際の主に視覚的なプレゼントなんですよね。また、それはこちらから私に対して興奮してくれても、高まったらセックスしてくれてもOKだよ、という合意に誘導する合図の一つという感じで、性交中には既に、双方向になってしまうものなわけです。夫も気持ちいいことあげちゃうよ、と口走ったりもします。日本神話で、イザナミがイザナギに「ああ、なんていい男」と言って自分から迫って交わった、に通じる女性側の意思表示ともセットなわけです(しかし、この記紀神話ではそれが災いして、ヒルコという未熟児を産んで川に流すなどという、とんでもない親権放棄の話に発展していますね。なんか裏に政治的意図を感じますが・・・)。
私は自分から避妊を頼むことにも躊躇ったことはないし、あまり一般的な女性の心得、見たいな教育に染まってないからとも思うのですが、男性には自分から積極的に迫る方が好きなタイプですね。ある意味で、まわりからは(まあ、自覚している面もありますが)私の方が男性的な気質で、夫の方が女性的な気質だから合うんじゃないか、と言われます。
まあ、こんなところに堂々と忌憚なくこんなことを書く位ですので、恋愛は今では夫一筋といえど、一般的な倫理道徳的「慎み深さ」のセンスは欠けているのは事実かも知れません。
実際に、女友達より、昔からさっぱりした男の「ダチ」とのつきあいの方が多く、男性の中にいる方が落ち着けたというのは事実です。男のダチと飲んでいて、平気でシモネタをどんどん連発してしまうくらいでして(たまにTPO上顰蹙を買うこともありますが・・・)。
夫も、幼少期は外で仕事していた母親より、家で仕事をしていた父親や叔父さんなどに家事や育児の世話をしてもらっていたことが多く、私以前に女性を意識した相手は殆どいなかったが、それでもたくさんの女性の「友人」がいたよう人なので、どっちも性別(ジェンダー?)意識が希薄な方かもしれません。結構セクシャルなんですけどもね。
という訳で、何か参考になることがあれば、幸いです。