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(回答先: 明治時代の「三国干渉」の意味するもの 投稿者 リーマン 日時 2003 年 12 月 16 日 00:25:40)
リーマンさん、はじめまして、こんにちは。
大雑把に一括してしまいますと、日本人の意思決定のプロセスにある本源的な不備を洞察したものだと受け取りました。中でも対象の動態把握に関する日本人の意識の低さは、マーケティング論的視座からもしばしば指摘されるところです。
英国人が抱懐する同じようなプロットが鎌倉時代から江戸時代に至る日本国内の領主間で交錯したことは想像に難しくないと想われるのですが、明治期になってはじめて本格的に他国間で実行に移されようとしたときには、経験(演習)の蓄積では英国に到底及ぶものではなかったのでしょう。
>そもそもかしこい人間は、他人を使うに際しては、使われる側が「自分は他人に使われている」、ということを自覚させない形で使いこなすものです。この場合でいえば、日本人に対して「日露戦争は、自らが主体的に選び取った国家の選択だ」と思い込ませることが必要だったのです。
日本社会でも最近になって、例えばリストラに伴なう退職勧告面談においてようやく婉曲なアプローチが用いられるようになりましたが、それまではたとえ会社都合であっても本人が会社の事情を忖度した結果として退職を決意するというような具合に落着する場合が多く、また社員の側にも解雇されることをすんなり受け入れてしまう日本人独特の心象風景が一役かったことは否めないと思います。
役職者が自らの選択でしかも発展的(恨みを懐かせぬよう)な辞職に至るように仕向ける米国人上司の手練手管に驚嘆したことがありますが、日本人ではどうしても情が絡みそう簡単にはゆかないようです。
>イギリス人のトリックに気が付いている日本人は今でもほとんどいないのではないでしょうか? 意地悪な言い方をすれば、未だに騙されつづけているのです。一方で、イギリスから日本の支配権を戦後譲り受けたアメリカは、このトリックに十分気付いています。
少なくとも英米系企業に働く人や英米との交渉の先端に介在している人達は気が付いていると思います。ただし、彼らに対処する流儀や構えを形成できていないことが致命的な欠落となっているのではないでしょうか。この辺のことはリーマンさんのほうがもっと強く意識されていると想われます。
>「この手を使ってもう一回日本をてんぷらに揚げることはそれほど難しくないようですね。」
てんぷらに揚げられないようにするにはどうしたらよいのか、最前線で彼らと切り結んでいるリーマンさんにお尋ねしたくもあり、また我々自身で深慮し対応策を鍛造していかなければならないとの自覚もあります。何れにしても、この文化的圧力を時間を超えて跳ね返すのは容易なことではありません。
また、会いましょう。