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■大学病院のインフォームドコンセント /和田秀樹
東京慈恵会医科大学青戸病院で経験が未熟な医師たちが高度先進医療のやり方で
手術を行おうとして60歳の男性を殺してしまったとして、業務上過失致死の疑いで
逮捕された。
この件について、私は医師たちに同情するつもりはないが、むしろ患者の側が
考えを変えるべきチャンスなのに、「異常な」医師による犯行という捉え方ばかり
されることに多少の違和感を感じる。
前々から問題にしているように日本人の大学病院信仰は異常なものがある。
まさに信仰のレベルを超えて狂信である。
現実には、臨床の腕より研究業績で教授が決められるし、医局というのは技術の
トレーニングの場というより、研究のための集まりで、指導医も指導をするより
研究室にこもっているのが実態だ。いくら医者の数が多くて、いくら先進の技術が
備わっていても、そんな医者にいい腕を期待するほうが甘い。
経験不足も問題にされているが、経験がない医者のトレーニングの場が
大学病院でもある。もちろん、それについての指導医がいるという点で
信用されるのかもしれないが、基本的には新しい手技や、初めての手術というのは、
多くの医者は大学病院で経験する。
ついでにいうと、どの大学にも一通り医局がある。要するに耳鼻科や眼科や
産婦人科や脳外科のない医科大学や大学医学部はない。だから、医大の
密集するところや、人口の少ない地域にある医学部の付属病院ではろくに
患者の経験ができない。
たとえば東京のお茶の水から文京区にかけては、日大、東京医科歯科、順天堂、
東大、日本医大と半径3キロくらいに5つも大学の付属病院がある。おのおのの科で
患者の取り合いをしていれば、特に救急性の高い手術ほど経験をしにくい。
おおむね1県に1医大のシステムなので、やはり人口が100万人に満たない県の
医学部は患者が集めにくい。
ブラックジャックによろしくの北医師のモデルになったとされる私の最も尊敬する
心臓外科医の南淵明宏氏によると、心臓外科の手術は一人年間100人はやらないと
一流の腕にはなれないと言う。ところが、日本ではその手術をやる病院が多すぎて、
クォリティが保てないのだと。その上、大学病院の場合は、一つの科に何人も
医者がいる。そうでなくても地域の中核病院やある種の専門病院のほうが患者を
集めやすいのに、その少ない患者を何人もの医者で交代にやるのでは、腕の上達が
期待できないのは当然のことである。
デパートより専門店のほうがレベルが高いものを買いやすいように、大学病院は
何でもある代わりに、よほど選ばないと(もちろん、食品売り場なら専門店に負けない
デパートがあるように、前述の5大学病院の中でも日本医大の救命救急センターや
順天堂大学の心臓外科などすばらしいところもある。逆に5つの中でそこに患者が
集中するから、残りの四大学はよけい患者を経験できないことになる)、大学病院は
経験不足の医者に当たらないほうが運がいいということになるのだ。
南淵氏に言わせると、その結果心臓外科では腕の差は、F1ドライバーと
サンデードライバーくらいの差になるという。仮に医療設備が最新鋭でも、腕の悪い
パイロットにジェット機に乗せてもらうのと、腕のいいパイロットにセスナ機に
乗せてもらうのとどちらを選ぶのかという選択になるというのだ。南淵氏は後者を
選ぶという。私もそうだ。実際は、もちろんジェット機とセスナ機ほどの差はない。
一つ前の形のジェット機と最新鋭のジェット機くらいの差なのだから、明らかに
F1ドライバーにやってもらいたい。
しかし、それに文句を言っても仕方がない。若い医者だって、どこかで修行を
受けなければ、医者が育たないし、年寄りだらけになってしまう。もちろん、
研究至上主義のためにろくに指導をしないことは許されることではないが、
いずれにせよ、大学病院ではろくに経験のない医者の練習台になるという構造は
受け入れざるを得ない。
同じように最先端の医療を試しに行う場も大学病院であるし、新薬開発のための
臨床実験の場も大学病院である。
要するに大学病院というのは、医者にとっては練習の場であり、
実験の場なのである。しかし、それがないと医者もトレーニングができないし、
医学の進歩のための実験ができない。
だから、何かを引き換えに提供しないといけない。現にアメリカでは大学病院では、
治験の対象になるとか、レジデントのトレーニング台になるとかいう条件で、
医療費を大幅に安くしてもらえたり、逆に礼をもらえたりする。UCLAの
メディカルセンターなどは比較的金持ちの住むところにあるが、以前、マイアミ大学の
病院に行ったときは、かなりスラムに近いところの真ん中にあった。少なくとも
本来豊かな人が住むはずのマイアミでは貧しい人が住む地域なのだろう。そして、
多くの大学病院がそういう場所にあるという。
日本でも、最先端の医療を受けられるとか、多くの医療スタッフがいるとか、
腕のほどの保証はないが、運がよければ大学教授に診察してもらえるとか、
その代わり、ここでは練習台ですよ、実験台ですよということをみんなが知れば
大学病院か市中病院かは選択の範囲になるだろう。腕の悪い医者しかいない地域
(昔医大のなかった県などでは、金儲けに走る流れ者の医者が多い地域もある)では、
大学病院のほうがましということも十分あるのだから。
問題は、こんな当たり前の情報が患者に知らされず、共有されず、また今回の
報道でも、本来高度な医療をやるはずの大学病院であってはならないことのような
報じ方をされていることだ。
そうではなくて、大学病院とは本来こういうことを起こることを
覚悟すべき場なのだと言うことを誰かが伝えなければインフォームドコンセントとは
言えないだろう。
なぜ、大学が正直に練習の場だとか、実験の場だとか、しかしそういう場がないと
医学の進歩も医師の養成もありえないのだとかいうことを正直に言えないのか?
これは偏に教授たちがいばることが好きな人間がなるからだろう。
彼らが患者さんに、「若い医者のトレーニングのために我々の病院で治療を
受けてくださいまして本当にありがとうございます」とか、「医学の進歩のために、
最先端の治療の実験を受けていただいて本当にありがとうございます」と頭の
下げられる人間であればいい。しかし、むしろ大学教授は患者にとって
「診てやっている」という態度をとる人が多いし、そのおかげで礼をもらって
いるのか、大学から出る1000万やそこらの年収ではとてもできないような生活を
している。
彼らが本当のことを言えば、患者に威張ることもできなくなるし、お礼も
もらえなくなる。逆に礼を払わないといけない立場なのだから。だから、口が裂けても
本当のことは言わない。でも、医者のトレーニングという任務を負い、医学の進歩の
ための研究の責任者であるのだから、そのために頭が下げられないようでは失格と
言わざるを得ない。
彼らの給料を多少足してでも、患者に本当のことを言えて、頭の下げられる人間が
教授になるべきなのだ。
不景気の世の中では学生の就職のために大学教授が会社の人事などに頭を
下げることが珍しくなくなっているという。
医学部の教授も素直に頭を下げられる人間がなって、大学病院の本当の使命を
伝えられることがインフォームドコンセントというものだろう。
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〜関連
「手術成功」と家族にうそ 慈恵会病院の医療ミス(共同通信)
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/121.html
投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 15 日