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(回答先: Re: ■大学病院信仰どころか医学信仰 投稿者 寅蔵 日時 2003 年 10 月 16 日 22:31:28)
医者だから言える【大学病院の「本当の話」】 米山公啓著
より、
患者の心理として、病気になれば、医者は何らかの治療をし、少しでもよくしてくれるものと思っている。医療はその要望に応えることが努めあると思う。しかし、前述のように患者にとって画期的な治療効果のある治療ができる病気は少ない。
医者がその事実を隠し、患者はそれを知らされないために、お互いの期待感だけで医療が続けられている。患者が抱く信頼、期待をうまく利用しているにすぎない。
風邪が風邪薬で治らないのは、医学的事実でありながら、患者の要求に従って、どう考えても意味のないブドウ糖液の注射を打ち、患者を納得させることで医療としている。
医者側の自分は賢明に働くという自己満足と自虐の中で、満足してしまう。
その根拠に流れるのは、 科学的根拠 でなく、
医学は病気を治せる という 大いなる 思いこみ と優越感である。
以上。
今、ちょっと開いたところがこの部分でしたので共時性が発揮できたようです。
それを見ながら直接タイプしました。
信仰とは 「大いなる思いこみ」 ではないでしょうか。
思いこみとは 「医学には科学的根拠がある」という・・・
しかし、学理と実際があまりに異なっていると、そういつまでも続くはずもなく、自然と表面化して来るのが法則というものでしょう。
つまり、これからも医療ミスとか医療事故とかは減ることは無いのかも知れません。
(本心は知れませんではなく、大いに増えると思っていますが)
そしてそれらが一部だけのミスや事故ではなく、根本的欠陥があるから「成る可くして成った」という事実に気が付かされるのでしょうか?
(ここでも・・・しょうか? と遠慮しています。)